【NEE2017】シンギュラリティは来ない…東ロボくんの母・NIIセンター長 新井紀子教授

 AIが人間の知能を凌駕する日も近いとされる昨今、AIと共存する時代に求められている力とは一体どのようなものか。NIIセンター長の新井紀子教授は「シンギュラリティは来ない」と断言する。東ロボの研究から通して見えた読解力について語る。

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国立情報学研究所(NII)社会共有知研究センター センター長の新井紀子教授。数学者としての知見と手腕が冴える講演は、あっという間の60分だった。
  • 国立情報学研究所(NII)社会共有知研究センター センター長の新井紀子教授。数学者としての知見と手腕が冴える講演は、あっという間の60分だった。
  • 全国約2万の中高生が実際に解いた問題。正解は2の「キリスト教」だ。全国中学生正答率は62%、高校生正答率は72%。
  • 全国約2万の中高生が実際に解いた問題。正解は1の「Alex」だ。全国中学生正答率は38%、高校生正答率は65%。
  • 全国約2万の中高生が実際に解いた問題。2つの文の意味を理解していないと、「異なる」文章であるとは理解できない。
  • 全国約2万の中高生が実際に解いた問題。AIはキーワード検索により正解を導くため、「28」も「35」も含まれていない、正解の「2」を選ぶのは至難の業。
  • 国立情報学研究所(NII)社会共有知研究センター センター長の新井紀子教授
 「シンギュラリティはこない」―東大合格を目指す人工知能(AI)、通称“東ロボくん”を2011年から育てた教育者として、成長を見守った母として、そしてひとりの数学者として、国立情報学研究所(NII)社会共有知研究センター センター長の新井紀子教授はそう、断言した。

 AIが人間の知能を凌駕する日も近いとされる昨今、人間に求められる力とは一体、どのようなものか。東ロボくんに関する研究を通じ見えてきた「子どもたちが身に付けるべき力」とは、文章を読み、正しく理解する「リーディングスキル」にある。

◆AIができることとできないこと…5年に及ぶ東ロボくん育成

 新井教授は6月1日、東京ファッションタウンビル(TFT)で開幕したNew Education Expo 実行委員会主催の教育専門展「New Education Expo 2017(NEE2017)」において、東ロボを研究する課程で見えてきた現代教育の問題点について講演した。

 「東ロボくん」とは、2011年に国立情報学研究所(NII)が中心となり立ち上げた人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」において研究、開発が進められている人工知能の名称。プロジェクトが始まった当初、東ロボくんは2016年までに大学入試センター試験で高得点をマークし、2021年には東大入試の突破を目標付けられた。

 人間が持つ知能とは何かを根源的に問い直すこの取組みは当時賛否両論を呼び、人工知能研究者のみならず教育業界にも一石を投じた。第一段階の到達地点だった2016年には、全国約50万人の受験生が受験したセンター試験で高得点・偏差値をマークするも、成績の伸び悩みや人工知能の限界が見えたことから惜しくも、東ロボくんは“東大受験を諦めた”ことは記憶に新しい。

 新井教授は「できることとできないことに関して、大学入試を受けるような人間の知的能力と比較したときに、AIがどのあたりまでいくのか。(その結果は)AIの限界でもあるし、労働代替の可能性でもある。そういったことを明確にしようということで、このプロジェクトが始まった」と語る。東ロボプロジェクトの発足後、新井氏は講演で訪れた会場で、度々「AIは東大に入れるぐらい賢くなると思いますか」と問いかけてきた。結果、8割の会場では肯定的な返事が返ってきたという。

◆東ロボくんが東大を諦めたワケ

 ともすればSF的、空想的な展望に走りがちなAIをめぐる世論。2011年にIBMが発表した「IBM Watson(ワトソン)」や2016年にプロ棋士に勝ったGoogle DeepMind発のAI「AlphaGo(アルファ碁)」などの急成長や快進撃を目にすると、ビッグデータや深層学習(ディープラーニング)は無限の可能性を秘めているのではないか、との期待も抱きたくなる。

 しかし、新井教授は約5年間に及ぶ東ロボくんの研究を通し、AIが人間の知能を越すとする「シンギュラリティ(技術的特異点)はこない」と結論づける。数十年の間で急激に発達した最新テクノロジーの勢いを持ってしても、AIの学習能力には限界があり、人工知能が人間の進化を越える日は来ない。

国立情報学研究所(NII)社会共有知研究センター センター長の新井紀子教授
国立情報学研究所(NII)社会共有知研究センター センター長の新井紀子教授

 新井教授によると、AIは「意味は考えていなくて、正しさは保証しないけど、結構正しい」判断をする。90年代から続く研究により、画像認識、音声認識ができるようになったことから、AIが自動で言語を理解し、人間との対話も容易に実現できると予想する世の期待もやぶさかでない。しかし、「画像認識や音声認識の技術と、自然言語を理解する技術はまったく異なる。自然言語は(これまでのAIに用いられていた)数学が扱えない領域」だという。

 新井教授が断言するには理由がある。東ロボくんの成績だ。プロジェクト発足以来“学んできた”東ロボくんは、代々木ゼミナールによる代ゼミ模試やベネッセコーポレーションによる進研模試「総合学力マーク模試」に挑戦。なかでも、2016年度進研模試 総合学力マーク模試・6月」では、全国の国公私立大学のうち70%に合格できる成績を残した。しかし、文意を理解できていれば解答できる英語、国語の語句整序問題や選択問題では弱点も露呈。東ロボくんは文章の意味を理解していないため、過去に学習していない問題やパターンに突き当たると、解答できないのだ。すると当然、成績も落ちる。

 「うちの子、言うんですよ。『先生、どうすればいいですか。(解答が)200通り出ちゃいました。』」新井教授は東ロボくんを「うちの子」と称し、我が子のミスを慈しみながらも、客観的に言葉を続ける。「AIは意味を考えていない、理解していないのだから、人工知能ではない。言うとしたら人工無能だ。どうしてそれ(AI)が、高校生を凌駕したのか。」

◆東ロボくんから見えた子どもの弱点

 読解力のない東ロボくんよりも、人間の子どもは文章を理解していないのではないか。新井教授はひとつの仮説を立てた。人間の受験生より好成績を残した東ロボくんの研究を通じ、新井教授は教科書をベースに1,000問以上の問題を作成。2016年には、2万人以上の中高生を対象とした読解力調査を実施した。調査に参加した子どもたちには、休憩も取りながら、なるべく早く正確に、よく考えて1人36問を解くよう促した。

全国約2万の中高生が実際に解いた問題。正解は2の「キリスト教」だ。全国中学生正答率は62%、高校生正答率は72%。
全国約2万の中高生が実際に解いた問題。全国中学生正答率は62%、高校生正答率は72%(解答は画像ページ)


全国約2万の中高生が実際に解いた問題。正解は1の「Alex」だ。全国中学生正答率は38%、高校生正答率は65%。
全国約2万の中高生が実際に解いた問題。全国中学生正答率は38%、高校生正答率は65%。(解答は画像ページ)

 調査の結果、多少の計算が必要な条件整理問題はAIにも解答が難しいとしても、「意味を理解する」力を持っているはずの人間でも誤る問題が多々あることがわかった。なかには、進学率の高い高校の生徒ですら、4分の1しか正答できない問題もあった。

全国約2万の中高生が実際に解いた問題。2つの文の意味を理解していないと、「異なる」文章であるとは理解できない。
2つの文の「意味」を「理解」していないと、「異なる」文章であるとは理解できない。AIが苦戦し始める問題形式だ。


全国約2万の中高生が実際に解いた問題。AIはキーワード検索により正解を導くため、「28」も「35」も含まれていない、正解の「2」を選ぶのは至難の業。
AIはキーワード検索により正解を導くため、「28」も「35」も含まれていない正解を選ぶのは至難の業

 「文章が読めないのだから、プログラミングをやっても意味がない。プログラミング的な能力とはまさに、論理的に仕様を読み、それを実現する能力のこと。論理的に仕様が読める能力がまったくないのに、それをやってどうしてプログラミング能力が伸びるのか。わたしは、論理的に理解できない。」

◆中学卒業までに中学校の教科書を読む力を

 コイントス並の確率でしか正解できない子どもたちが抱える教育的な問題とは、新井教授によると「リーディングスキル」にある。教科書を読解できなければその意味はわからないし、意味がない。参考書が読めない、問題集が読めない―。リーディングスキルの欠如は、学習力の欠如を呼び起こすのだ。

 「教科書が読めれば、参考書で勉強ができる。教科書がありさえすれば、大学に行っても、会社に行っても、AIに勝ち続けることができる。教科書が読めるということは、子どもの未来を左右するすごく大きなファクターであることを、2万人の調査から深く深く認識した。中学を卒業するまでに中学校の教科書を読めるようにすることが、教育の最重要課題。あれこれやらなくていい。ランダムにしか読めない子どもがこんなにいるのに、あれこれやっている場合じゃない」―新井教授はそう、力強く語り、子どもたちが自分で自分の学習能力を伸長させる基盤を作っていきたいとコメント。子どもたちの未来のため、東ロボくんと中高生を対象にした調査研究をもとに国立情報学研究所が作成した「リーディングスキルテスト(Reading Skill Test)」を活用していく期待を述べ、満員に近い人で埋められた講演を締めくくった。

 数学の歴史は四千年、デジタル革命後の歴史は数十年。新井教授の数学者の立場から述べた見解は、2020年の学習指導要領改訂に伴うプログラミング教育の導入や英語学習強化の流れに多少、批判的とも取られるだろう。しかし、新井教授は東ロボくんの生みの親のひとりだ。“子ども”の教育法を思案し、よりよい教育を施したいとする気持ちは誰とも変わらない。客観的データと検証、そして子どもの成長を支える効果的な方法を模索するのは、“保護者”として当然のことではないだろうか。新技術をただ盲信せず、子どもの教育に携わる者として、そしてひとりの人間として子どもの未来を支えていきたいと感じさせる60分だった。
《佐藤亜希》

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