近年、デジタル化の進展やAI技術の導入により、リスキリング（学び直し）が注目されています。特に、急速に変化する社会において、キャリアを築き直すための学び直しの重要性が増しています。
しかし、働きながら学び直すのは容易ではなく、多くの社会人がその過程で困難に直面しています。
今回は、キャリア開発や転職支援の分野で深い知識を持つ長谷川岳雄氏に、リスキリングの意義や課題、そしてキャリア形成において大切な視点についてお話を伺いました。
社会人のリスキリング実践と乗り越えるべき壁
──社会人がリスキリングに取り組む際、どのようなハードルがあるのでしょうか？
長谷川教授：
社会人がリスキリングに取り組む際に最も大きなハードルとなるのは、「時間の確保」と「学びの目的の曖昧さ」です。特に働きながら学ぶ場合、仕事や家庭との両立が大きな現実的な問題として立ちはだかります。
仕事の合間に学ぶ時間をどう確保するかという課題は、リスキリングに挑戦する多くの社会人が直面している問題です。さらに、どれくらいの時間を学びに充てるべきか、そしてどのような学びを選ぶべきかが曖昧だと、学びの継続が難しくなります。
実際、大学の社会人学生からは、「久しぶりに勉強することに不安がある」「どこから手をつければいいのか分からない」といった声がよく聞かれます。始める前の不安や、進めていく過程での迷いが学びを断念させてしまうことがあるのです。
しかし、最初から大きな目標を掲げる必要はありません。今の業務の中で少しでも疑問を感じたことをきっかけに学び始めることが重要です。小さな一歩から始めることで、学びの楽しさを実感し、徐々に学習を深めていけるでしょう。
例えば、企業で働いているときには、仕事の中で「なぜこうした問題が起こったのか？」といった疑問が湧くことがあります。これがリスキリングを始めるためのきっかけです。
業務におけるデータ管理や分析のスキルが不足していると感じた場合、それを解決するために必要なスキルを学ぶための学習計画を立てることができます。最初は単なる疑問から始め、その疑問に対する答えを得ることから学びの旅がスタートするのです。
──企業内でのキャリア形成支援と、個人が主体的に行うリスキリングにはどのような違いや課題がありますか？
長谷川教授：
企業内でのキャリア形成支援と、個人が主体的に行うリスキリングには、いくつかの重要な違いと課題があります。
まず、企業内でのキャリア形成支援は、企業側の目的や戦略に基づいて行われるため、リスキリングの内容や進め方がある程度限定されます。企業は自身の業務や戦略に必要なスキルを社員に提供することが多く、特定のプロジェクトを推進するための専門知識が求められることが多いです。
企業の支援は、しばしば特定の職務や役職に合わせて必要なスキルを身につけることを目的としているため、その範囲が限定されがちです。
一方、個人が主体的に行うリスキリングの場合、学びの内容や範囲が広く、個人の興味やキャリアビジョンに基づいて自由に選ぶことができます。
個人は、自身が求めるキャリアを目指して、自分に必要だと思うスキルや知識を選んで学ぶことができるので、学びの幅が広がります。しかし、個人の学びにはいくつかの課題もあります。
──社会人が自律的に学ぶために必要なマインドや環境はどのようなものなのでしょうか？
長谷川教授：
社会人がリスキリングを進めるためには、「自分の変化を楽しめるか」が鍵となります。学び直しは、すぐに目に見える成果が出るわけではありませんが、日々の中で「少しずつ異なる視点で物事を考えられるようになった」「他部署との会話で専門的な用語を理解できるようになった」といった小さな変化を実感することで、学びを続けるモチベーションにつながるはずです。
最初は自信を持てなくても、小さな成果が積み重なり、自分自身の成長を感じることができれば、学びが継続しやすくなります。
また、学びの「孤独」を減らす工夫も重要です。例えば、オンライン講座でも、受講者同士のディスカッションがあるかどうかで学びが深まるかどうかが大きく変わります。
企業内であれば、「学びの成果を共有する場」を設けるのも効果的です。このような環境作りが、学びを組織全体に波及させる大きな助けになります。
リスキリングは個人の学びの積み重ねだけでなく、その学びが組織全体にどれだけ影響を与えるかも重要です。
──「学び直しに年齢は関係ない」という空気づくりが重要ですね。
長谷川教授：
その通りです。年齢や立場に関係なく、変化し続ける人こそが時代に適応できるのです。
リスキリングはスキルを習得するためだけでなく、組織の価値観そのものをアップデートする取り組みでもあります。学び直しを通じて、個人だけでなく、企業文化そのものを進化させることができるのです。
リスキリングを成功させるためには、企業や教育機関が学びに対して積極的な姿勢を見せ、学びの重要性を全員で認識することが不可欠です。
特に、経営層が学び直しの重要性を理解し、実際に学びを実践している姿を見せることが、組織全体の学びを加速させます。学びが上からの指示で終わってしまわないように、個々の従業員が自発的に学び続けられる環境を整えることが重要です。
大学の社会人向け教育の可能性
──大学における「社会人向け教育」の意義や可能性についてどうお考えですか？
長谷川教授：
社会人向け教育には非常に大きな可能性があると考えています。
ビジネススクールでは、30代後半から50代の社会人が多く在籍しており、みなさん非常に意欲的です。社会人が大学で学ぶ理由は、単に資格を取るためや転職のためだけではありません。
むしろ、「自分のこれまでの経験を振り返り、理論を学ぶことで実務に新しい視点を加える」ことが主な目的となっています。多くの社会人が、学びを通じて新たなキャリアの可能性を広げ、自分自身の成長を実感しています。
また、大学の教育は単に知識を詰め込む場ではなく、自分の過去や経験を振り返り、未来のキャリアにどう活かすかを考える場でもあります。大学院における学びは、人生経験が豊富な社会人だからこそ、より深く実務に落とし込むことができる内容です。
このように、社会人向けの教育がキャリアの再構築にとって非常に重要な位置を占めていることは間違いありません。
──社会人が大学に戻ることのメリットとは、具体的にどのような点にあるのでしょう？
長谷川教授：
大学で学ぶことの最大のメリットは、「理論と実務を行き来できること」です。
例えば、ある受講生は製造業で生産ラインのマネージャーをしていましたが、会計学の授業を受けることで、経営層との会話がスムーズになったという実例があります。
理論を学ぶことが実務にどのように活かされるのかを実感できる点が、大学で学ぶ大きな利点です。
また、大学にはさまざまなバックグラウンドを持つ仲間が集まり、異業種の人と意見交換をすることが、視野を広げるきっかけとなります。固定化された視点から抜け出し、多角的に物事を捉える力を養うことができます。
これにより、職場での問題解決能力や意思決定力が向上します。
このように、大学での学びは、キャリアの“再構築”の場にもなるのです。多様な視点を持つ仲間との学び合いは、社会人にとって新たな可能性を広げてくれます。
越境学習と「自分だけの問い」の発見
──働きながら学び直すことに不安を感じる人も多いのですが、リスクとリターンを見極めながら自分に合ったリスキリングを見つけるには、どのような視点を持つとよいでしょうか？
長谷川教授：
リスキリングにおいて重要なのは、「何かを身につける」だけでなく、「問いを持つこと」や「思考のクセに気づくこと」です。
自分がどんな判断軸で動いてきたのかを振り返り、それが今の時代にフィットしているのかを考えることが、次のキャリアを築くためのヒントになります。
例えば、ある会社員が大学で「サステナビリティと経営戦略」を学んだとしましょう。すると、「自分の仕事が社会にどう貢献しているのか？」や「短期的な利益を追求するだけではいけないのではないか？」といった、新たな問いが生まれます。
その問いを職場に持ち帰り、実際の行動に変化をもたらすことこそが、学びの成果なのです。
──問いを持つことが、思考と行動の“軸”になるわけですね。
長谷川教授：
はい、その通りです。自分が何を問うべきかを見つける力が、これからの時代に必要な「リスキル」だと私は考えています。
リスキリングは、スキルを学ぶだけでなく、自分のキャリアにおける新たな視点を得るための大切なプロセスなのです。問いを持つことで、自分自身のキャリアや目標に対する深い理解が得られ、未来に向けた具体的な行動が生まれます。
リスキリングが社会全体にもたらす影響と価値
──リスキリングは社会全体にどのような影響を及ぼすと思いますが？
長谷川教授：
リスキリングは個人に与える変化にとどまらず、組織のあり方や社会全体の構造にまで大きな影響を与える力を持っています。特に、従来の年功序列や終身雇用に依存した社会から、「自分でキャリアを作る」時代に変わりつつあります。
この価値観の転換は、企業や社会全体に新たな“意思決定の基準”や“働き方の常識”を生み出します。
リスキリングを通じて、個人がスキルを向上させ、社会全体が柔軟に変化に適応できるようになることが、イノベーションを促進し、変化への耐性を高める力になります。
このような社会的な変化を受け入れ、学び続ける文化を育むことが、次世代の社会を支える基盤となるでしょう。
未来を生きるためのリスキリングの本質と提言
──リスキリングの本質とは何でしょうか？
長谷川教授：
リスキリングは、単なる「スキル習得」ではなく、「自分の生き方や価値観を見直すための行為」だと考えています。
学び直しによって、過去の経験に新たな意味を加え、未来の選択肢を広げることができるはずです。リスキリングは“自己変容”の過程であり、過去のキャリアを否定するのではなく、それをより豊かにする方法です。
──最後に、読者に向けてリスキリングに踏み出すためのアドバイスをお願いします。
長谷川教授：
リスキリングを始める上で重要なのは、「小さく始めていい」ということです。大きな資格を取る前に、まずは興味があるテーマで本を読んだり、セミナーに参加したりすることから始めましょう。
さらに、「孤独に学ばない」こと。学びは誰かと共有することで深まります。学習コミュニティに参加し、異なる視点を取り入れることで、より豊かな学びが得られるでしょう。
今回のインタビューでは、長谷川教授にリスキリングに関する貴重なお話を伺うことができました。
特に、リスキリングを進めるためには、「自分の変化を楽しむこと」が鍵であり、日々の小さな進歩を実感することがモチベーションに繋がるという話が印象的でした。
インタビューを通して、リスキリングは単にスキルを身につけることだけでなく、「自分のキャリアや価値観を見直し、未来に向けた選択肢を広げる」ための重要な行動であることが明確になりました。どんなに忙しい日々の中でも、学びを続けることこそが、未来に向けての最大の投資だと実感しています。学びの過程で得られる成長や変化は、必ず自身のキャリアに大きな影響を与えることでしょう。