長年英語を学んできたのに、いざ外国人を前にすると言葉が出てこない――。ビジネスや旅行、子どもの教育において、そうした「話せない」現状に歯がゆさを感じている方は少なくないのではないでしょうか。
特にAIが進化し、翻訳ツールが身近になった現代において、私たちはなぜ英語を学ぶ必要があるのか、そして「本当に使える英語力」とは一体何なのか。
この問いに、京都府立大学で英語学を専門とする山口 美知代教授は、明確な答えを示してくれました。本記事では、第二言語習得研究の最前線から、日本人学習者が抱える本質的な課題を紐解き、AI時代にこそ求められる「生きた英語」を身につけるための具体的なヒントとマインドセットを、インタビューを通じて深掘りしていきます。
AI時代だからこそ再注目される「対面コミュニケーション」の重要性
翻訳ツールや生成AIの普及は、外国語学習のあり方を根本から変えようとしています。しかし、このような時代だからこそ、AIでは代替できない「対面でのコミュニケーション能力」が、その真価を問われています。本章では、AI時代に求められる英語学習の新たな価値と、人と人との対話が持つ揺るぎない重要性について探ります。
ネイティブ崇拝からの脱却:多様な英語を認める時代へ
京都府立大学 文学部 欧米言語文化学科 山口 美知代教授
最近では「ワールドイングリッシュズ」という考え方が広まっており、いわゆるネイティブスピーカーの英語に限定されず、コミュニケーションツールとしての英語を習得することが重視されています。これは、共通語としての英語(English as a Lingua Franca)の研究などでも進められている方向性です。
そのため、いわゆるネイティブ信仰から脱却する動きが、研究者レベルだけでなく教育現場にも浸透してきているのは、良い傾向だと考えています。こうした流れの中で、日本人の英語に対する意識も変わりつつあるのではないでしょうか。
なぜ今、リアルな英会話力が求められるのか
少し話は変わりますが、生成AIがこれほど普及してくると、外国語を学ぶ意味自体が大きく揺らいでくると思います。しかし、このような時代だからこそ、留学などを通して生きた外国語や本物のコミュニケーション能力を身につけることが重要になります。AIがこれほど進化した現代において、それでもなお必要とされる能力は何か。それは、面と向かっての対話、つまり対面でのコミュニケーション能力に他なりません。この能力は、最後まで人間にとって必要不可欠なものでしょう。例えば、メールのやり取りはAIでかなりのレベルまで対応できますし、観光旅行でも翻訳機があれば大抵のことは事足ります。しかし、そうしたツールで様々なことが可能になったからこそ、対面で直接コミュニケーションをとる能力の重要性は、むしろ相対的に増しているのではないかと考えます。
—AI時代だからこそ、対面での会話が重要になるということですね。
最近の英語学習ではシャドーイングや、プロソディ(発話の音声的な特徴)を鍛えるトレーニングなどがトレンドになっているように感じます。こうした潮流の中で、山口教授が特に効果的だとお考えになるトレーニング方法はありますでしょうか。
学生たちがAIを使って会話練習をしていると聞きます。私自身は直接試したことはないのですが、素晴らしい取り組みだと思います。今後、AIによってスピーキング能力を客観的に判定するような技術開発がさらに進むことには、大いに期待しています。
ただ一方で、例えば現在の東京都の入試に導入されているスピーキングテストのように、実用化の段階で制度的な不備が見られる点については、非常にもったいないと感じています。
グローバル化と英語教育の未来:多様性が生み出す可能性
グローバル化が加速する現代において、英語教育のあり方も大きな転換期を迎えています。もはや「完璧なネイティブ英語」だけが唯一の目標とされる時代ではなく、多様なバックグラウンドを持つ英語話者との円滑なコミュニケーション能力が重視されています。本章では、こうした変化がもたらす未来の英語教育の可能性と、新たな学習機会の広がりについて探ります。
フィリピン英語の台頭:非ネイティブ圏での学習メリット
—フィリピンを訪れると、英語と母国語であるタガログ語の間にあまり境目がなく、人々が日常の中で生き生きと英語を使っている印象を受けます。
ええ、まさにその通りですね。先日、私もセブ島のラプラプ・セブ国際大学を訪れ、大学として協定を結びました。現地の大学が日本人向けの英語研修を非常に積極的に受け入れてくださる体制を整えているのです。
—そうなのですね。
特筆すべきは費用面です。例えば4週間の研修で、滞在費、食費、授業料込みで24万円ほど(航空券代を除く)です。これはオーストラリアなどに留学する場合の3分の1か、それ以下の費用で済みます。そのため、学生たちも非常に意欲的です。
私が感慨深く思うのは、こうしたフィリピンの大学との提携は、一昔前、例えば私が学生だった頃には、大学の会議で提案してもまず通らなかっただろうということです。その後、オンラインのマンツーマンレッスンなどでフィリピンの英語教育が注目され始めましたが、大学の正式な研修先として選ぶという発想はなかなかありませんでした。私が研究者として歩んできたこの30年間で、日本人の英語に対する価値観は大きく変わりました。いわゆる「ネイティブの国」、特にアメリカやイギリス以外の多様な英語に対する関心や寛容性が、非常に高まってきていると感じます。
そう考えると、今、セブ島で英語研修を受けた学生たちが社会に出て、さらに成長した頃には、日本の英語を取り巻く環境は、現在とはまた大きく異なっているだろうと、非常に楽しみにしています。
大学教育現場で進む「英語指導者の多様化」
例えば、私の所属する京都府立大学の大学院にも、中国から英語学を学びにくる留学生がいます。そして興味深いことに、彼らが博士課程後期になると、今度は日本の大学で非常勤講師として、日本人学生に英語を教え始めるのです。
—中国の方が、日本の大学で英語を教えているのですか。
はい。しかも、これは私の教え子に限った話ではありません。日本の英語教育の現場では、教員の多様化が確実に進んでいます。かつては「ネイティブスピーカー」であることが重視され、次にフィリピンやマレーシアといった英語が公用語の国々の出身者が認められるようになりました。そして今や、中国のように英語を外国語として学んだ方々も、日本の大学の教壇に立てる時代になっているのです。英語教育業界がいかに変化しているかを示す象徴的な出来事だと感じます。
—お話を伺うと、一見少しちぐはぐな状況のようにも感じます。
そう思われるかもしれませんね。ですが、本質を考えれば、日本人が日本人に英語を教えていることと、中国人が日本人に英語を教えることに、大きな違いはあるでしょうか。同じ非ネイティブスピーカーなのですから。
—確かに、そうですね。
ただ、日本人学生は、例えば中国語話者特有の訛りには敏感かもしれません。しかし、そうした自分たちが持たない訛りに触れること自体が、多様な英語への「気づき」となり、非常に教育的な価値があると考えています。
—なるほど。今のお話を聞いて、時代が変わったと改めて感じます。昔、フィリピン出身の母に「英語を教えて」と頼んだら、「私はタガログ語訛りの英語だからダメ。アメリカ人の先生に習いなさい」と断られたことがありました。
そうでしたか。ちなみに、先ほどお話ししたフィリピンのラプラプ・セブ国際大学でも、オーストラリア人やアメリカ人のディレクターの指導の下で、現地の優秀な先生方がトレーニングを積んで教えています。多様性を認めつつ、教育の質もしっかりと担保されているのです。
日本人英語学習者が「話せない」と悩む本当の理由
「日本人は英語が話せない」という通説は、どこから来るのでしょうか。文法を気にしすぎる傾向や、実は決定的に不足している「使える語彙力」など、長年英語学習者が抱えてきた課題の深層に迫ります。
文法を気にしすぎ?その前に足りない「使える語彙力」
—日本人の英語学習者が抱えやすい課題についてお伺いします。特に英会話において、どのような傾向があると感じられますか?
よく「文法を気にしすぎて話せない」と言われますが、私がより本質的な課題だと感じているのは、そもそも「使える語彙」が徹底的に不足しているという点です。
—使える語彙、ですか。
はい。単語を「文字・音・意味」の3点セットだとすると、これまでの日本の英語教育では「文字と意味」を結びつける訓練は重点的に行われてきました。ですから、知識として多くの単語を知っている人は少なくありません。しかし、いざ話すとなると、文字を介さずに「音と意味」を直接結びつけて、瞬時に言葉として出す必要があります。この「音で聞いて、音で返す」ために使える語彙が、決定的に少ないのだと思います。言われた時に意味は分からなくても、音として反応できる。そういった語彙のストックを増やすことが課題だと考えています。
量の圧倒的不足:多読・多聴が苦手な日本人の学習スタイル
—日本人の学習者が抱える「語彙や表現が足りない」という課題について、どのような学習で克服できるのでしょうか。
やはり学習の「量」が圧倒的に少ないのだと思います。日本の授業はどうしても、限られた量の教材を隅から隅まで正確に理解しようというスタイルになりがちです。そうではなく、例えば「多聴」のように、少々分からない部分があっても気にせず、とにかくたくさんの英語に触れていく。そうして量をこなすうちに、使える語彙は自然と増えていくはずです。
—一つのものを完璧に理解するより、6割程度の理解でも量をこなしていくことが重要だということですね。
はい。以前は、日本人に足りないのは「コミュニケーションへの意思」が一番の問題だと考えていた時期もありました。しかし、最近の学生は学習意欲、つまりモチベーションに関心を持つ方が非常に多いのです。もちろん意欲は大切ですが、その前にまずある程度の量をこなさなければ始まらない、と感じています。
ここで言う「量」とは、無理やり詰め込む勉強のことではありません。結局はモチベーションの話に戻ってくるのですが、YouTubeが好きな人ならスポーツ中継を、料理が好きな人なら料理番組を英語でずっと見ていればいい。自分の好きなことを通じて、楽しみながら英語に触れる総量を増やすことが絶対に大事です。
—教科書的な学習だけでなく、ご自身の興味関心と結びつけるわけですね。
ええ。例えば、協定校があるラトビアの学生たちは非常に英語が上手です。彼らはテレビやYouTubeなどで日常的に英語のコンテンツに触れているのです。その点、日本は日本語だけで楽しめる娯楽が非常に多いため、意識しなければ英語に触れる機会が少なくなりがちです。
「話す機会」の決定的な欠如が壁となる
—YouTubeなどを通じて海外の文化や英語に触れる機会は増えたと思います。それにもかかわらず、多くの日本人が「あと一歩」のところで話せないのは、なぜなのでしょうか。
それは、やはり「話す機会」が絶対的に少ないからです。インプットの次のステップとして、いかにして話す機会を見つけ、実践していくか。全てはそこに尽きると思います。
その点で言うと、私は大学入試にスピーキングを導入する動きがなかなか進まなかったことを、非常に残念に思っています。当時、反対派の方々の中には、ご自身は英語を流暢に話せるのに反対していたり、「スピーキングは難しいから大学に入ってからでいい」とおっしゃったりする方が多く、少し違うのではないかと感じていました。もちろん、共通テストのように一斉に行うテストとして導入するには難しい面もあるかもしれません。しかし、志のある大学は面接形式でスピーキング能力を評価するなど、やり方はあるはずです。
現状のスピーキングテストは、どうしても発音の正確さや流暢さを測ることに偏りがちで、本当の意味でのコミュニケーション能力を測れているとは言えません。その点、面接であれば、対話を通じてその能力をより適切に評価できるのではないかと思います。
「英語が話せる」ようになるための効果的な学習法
英語を「話せる」ようになるためには、やみくもな学習では非効率です。本章では、山口教授が推奨する「圧倒的な量のインプット」と「モチベーションを維持する具体的な方法」を解説し、実践的な学習法を提示します。
積極的に「発話の場」を創り出す実践
—学習者個人としては、どのようにして「発話の場」を作っていけばよいのでしょうか。
まず、話す練習は相手がいなくてもできます。私は学生にもよく勧めているのですが、家でスマートフォンを使い、1分などと時間を計って、今考えていることをひたすら英語で言い続けてみるのです。
—一人でできる練習ですね。
はい。以前、ある著名な日本人歌手の方の英語を聞いた時、非常に「話し慣れている」と感じました。パイロットの実力が何万時間という飛行時間で測られるように、英語も、たとえ間違いがあっても、どれだけ自分の口から言葉を出したかという総量が、その人の英語力に現れるのだと思います。その方の英語には、無駄な口の動きがなく、まさに口から英語を出す訓練を積んできた方の話し方だと感じました。
自信を持って話そう!日本人特有の「なまり」への意識改革
—日本人は文化的に「正しさ」を重んじるあまり、正しい発音や文法でなければ、という意識が先に立ち、発話の機会そのものを逃してしまっている側面があるのではないでしょうか。
ただ、一方で面白いのは、私自身、こうして公のインタビューで普通に関西弁を話していますよね。これがもしイギリスやアメリカであれば、私のような大学教授が英語教育について語る際に、地域性の強い英語では話さないでしょう。「教養がないのでは?」と思われかねませんから、標準語または標準的なアクセントに近づけて話すはずです。その点では、実は日本人は日本語に関して、外国ほど言語的な「正しさ」にこだわっていないわけです。
—確かにおっしゃる通りですね。
もちろん日本語では敬語などには厳しい面もありますが。日本語の地域性をそんなに気にしませんよね
—日本人同士では方言を気にせず話せるのに、相手が外国人になった途端、構えてしまうのですね。
そうです。英語が「よそいき」の特別なものになっているのです。これも、やはり話す機会が増えれば、だんだんと気にならなくなっていく問題だと思います。
—「外国の方が正しく聞き取れるように、完璧な言葉で話さなければ」という意識が、発話のハードルを上げているのかもしれません。
その意識は、日本人だけのものでもないようです。以前、国際交流の仕事でブラジルに行った際、現地の若い方々は私に英語で気さくに話しかけてくれました。しかし、同世代の大学教員の方々は、個人的に話す時は英語でも、公のプレゼンテーションになると、聞き手である私がいても、多くの方がポルトガル語で発表されたのです。やはり、公の場で完璧ではない英語を話すことへの抵抗感があるのだと感じました。
大人の学び直しを成功させる「思考法」と「具体的な一歩」
「今から英語を学び直したい」と考える大人は多いものの、挫折しがちです。山口教授は、成功への鍵は「いきなりペラペラを目指さないこと」と「既に持っている知識を再認識すること」だと指摘。具体的な目標設定と心理的ハードルを下げる思考法を紹介します。
「ゼロから」ではない!既に持っている英語力を“磨く”意識
—最近では「リスキリング」という言葉も注目されていますが、スキルアップとして英語の学び直しを考えている方もいらっしゃると思います。
そうした場合に特に重要になるのが、「まず、自分がすでに持っているものの棚卸しをする」ということです。30代、40代の方なら、大抵は英語で1から10まで数えられますし、月曜日から日曜日まで言うこともできるはずです。これを例えば大学で学んだ第二外国語でやろうとすると、よほど熱心に勉強した人でない限り難しいでしょう。つまり、皆さんはすでに多くの英語の知識を持っているのです。ですから、「自分はもうダメだからゼロからやり直そう」と考えると、かえって基本的なことから始めることになり、気が遠くなってしまいます。「他の外国語に比べれば、自分は既に多くのことができる」という意識を持つことが大切です。
—「ゼロからのスタートではない」という気持ちで始めることが、第一歩だということですね。
その通りです。例えば私が今からポルトガル語を学ぼうとすると思ったら、数字や曜日、月を覚えるだけでも大変な時間がかかります。英語では多くのひとがそれが既にできているわけですから、あとは「眠っている知識を引っ張り出して、磨きをかけるだけ」だと思えば、ずっと気持ちが楽になるはずです。
小さな「目標設定」が学習を継続させる鍵
—大人になって英語の学び直しをしたいと思った時、どのような心構えで臨むのが良いでしょうか。
まず、「いきなりペラペラになる」というような壮大な目標を立てないことです。例えば、「半年後に海外旅行に行く」といった、身近で具体的な目標を設定すると、楽しく学習を続けられるのではないかと思います。
—「なんとなく英語が話せないとダメだ」と漠然とした気持ちで始めるのではなく、小さくてもいいから目的や目標を持って学習に臨むことが大切、ということですね。
おっしゃる通りです。「英語がうまくなりたい」という気持ちを支えるために、何か具体的な目標があると、気持ちに張りが生まれます。これはダイエットと少し似ていて、目標に向かって少しでもできることが増えていくと、毎日続けられるようになるのです。
—具体的にはどのような目標が良いでしょうか。
本当に小さな海外旅行の計画を立ててみるのも良いですし、地元の国際交流センターでの活動に参加してみるのも良いでしょう。ここで重要なのは、発想の転換です。「英語が喋れるようになったら旅行に行こう」と考えていると、いつまで経ってもその日はやってきません。そうではなく、半年後や1年後に行くことを先に決めてしまう。そして、そのために頑張る、という形が理想です。
—目標があると、学習そのものが楽しくなりそうですね。
はい。そして、学習を続けるためには、そうした「場探し」や「場作り」に加えて、いくつか大人の学習ならではのコツがあります。一つは、無理せず「自分がつらくならないように、自分に甘く」やること。そしてもう一つは、上達のためなら「使えるお金は自己投資として使ってしまう」という割り切りも、時には大事だと思います。
英語は「学ぶ」から「楽しむ」ツールへ。あなたの可能性を広げる思考の転換
山口教授のインタビューからは、英語学習の目的が「ネイティブになること」ではなく、「多様な英語話者とコミュニケーションすること」へと変化している現代において、私たち日本人が抱える課題とその克服策が明らかになりました。
重要なのは、文法や発音の完璧さにこだわりすぎず、使える語彙の「量」を増やし、自ら「発話の場」を積極的に創り出すこと。そして、特に大人の学び直しにおいては、既に持っている知識を「磨き上げる」という意識と、具体的な目標設定が成功の鍵となります。
この変化の時代を生きる私たちにとって、英語は決して特別なものではなく、日常生活の中で楽しみながら取り入れ、自らの可能性を広げる強力なツールとなり得るでしょう。
