― 米田紘康さんと考える、行動経済学から見える学びの本質 ―
「大学には行ったほうがいい」と言われても、進学の理由を言葉にできないまま、進路を選ぶ高校生も少なくありません。保護者としても、子どもの将来を左右する選択に迷いが生じるのは当然です。一方で、変化の激しい社会において、大学で過ごす4年間にどんな意味があるのでしょうか。
今回は、行動経済学を専門として、若者の学びや進路に長年向き合ってきた桃山学院大学 教員の米田紘康さんにお話を伺いました。非合理な意思決定の構造に目を向けながら、大学の価値や学生に求められる力について、改めて考えます。
研究と教育のバランスの変化 社会貢献のウェイトを高める傾向にある

これまで大学は、「研究機関」と「教育機関」の役割を、それぞれのバランスで担ってきました。しかし現在は、上位校もそうでない大学も、研究だけでなく社会貢献のウェイトを高める傾向にあるといいます。

従来は、上位校なら研究重視、他の大学は教育重視というように、ある程度それぞれの”役割”というものがありました。でも最近では、取り組みのバランスが少しずつ変わってきたと感じています
米田さんによると、地域密着型プロジェクトなどの社会に開かれた活動が見える形で行われるようになってきたとのこと。少子化による学生確保の必要性や、保護者・社会からのわかりやすい成果への期待も、大学の在り方に変化を促しています。
大学の4年間を、なんとなくで終わらせないために
「大学の4年間には、想像以上に大きな価値がある」と語る米田さんご自身も、在学中にその価値や魅力を十分に活かせないまま過ごしてしまったと振り返ります。人は合理的に行動できるとは限らず、ときに損を避けたい一心で判断を誤ったり、後悔につながる選択や行動をしてしまうこともあるそうです。

学生たちには、できるだけこの4年間を楽しくではなく、有意義に過ごしてほしいと伝えています。当たり前のようで伝わりにくい話ですが、それだけに、何度でも伝える価値のある大事なことだと思っています。
米田さんは人間の非合理的な行動に注目して、使用済みカイロのリサイクル率向上を目指す取り組みを授業でおこなったようです。
それは昨年1月中旬におこなわれた試験会場に、”難しかった科目を投票する箱”を設置したとのこと。ポイントは、”自信がある科目”ではなく、あえて”自信がない科目”に注目させること。これは受験生同士の共感や安心感を生み出す効果を狙ったといいます。
もう1つのポイントは、”ゴミ”になるはずだったカイロを”投票券”に意識を変えたことです。実際に、こんな単純なアイデアで回収率向上が達成できそうです。このような仕掛けを自ら考えて作成し、社会に貢献できた経験は、学生たちにとって大きな達成感を生み出しました。
実学か、教養か?大学教育はどこに向かうのか

専門性や即戦力が求められる現代、大学教育においても「実学」の重要性が語られることが増えてきました。しかし米田さんは、単なるスキルの詰め込みではなく、基礎力と広い視野を持つことの重要性を強調します。

社会に出ると、必ずしも大学で学んだ専門分野と同じ仕事に就くとは限りません。文学部を卒業して、銀行に就職することだってあります。特定の分野しか知らないのは、むしろリスクかもしれません。幅広い教養や思考力など、学びの土台が必要です。
スポーツによっては使う筋肉や動きに特徴があるかもしれませんが、そもそも基本的な体力なくしてスポーツはできません。同じように、大学での学びも汎用性のある力を育てることが大切だと言います。必ずしも実学に振り切る必要はなく、基本的な力に、自分なりの興味や関心分野でアクセントをつけることができれば、十分武器になるとのこと。
知識以上の価値を育てる、環境としての大学

大学の価値は、授業の内容や知識の量だけでは語りきれません。教科書から得られる知識なら、通信制大学やオンラインスクールでも学べるでしょう。そこで米田さんに、あえてキャンパスに通う意義を伺いました。

4年間の全講義で使用する教科書をすべて購入すると、およそ数十万円です。これはインプットに相当する価値と考えることができるでしょう。それに対して、学費はその10倍です。大学に通うからこそ得られるのは、ゼミでの議論や課外活動、施設の活用などをはじめとする、人と関わりながら自発的に学ぶ部分が大半です。
近年は、大学内で過ごす時間が短くなっている学生も少なくありません。しかし、教室外の環境を積極的に使ってこそ、大学にしかない学びの価値が見えてくるのかもしれません。
“実動する大学“が求められる時代へ
少子化により18歳人口が減る中で、大学はこれまで以上に社会との関係を見直す必要に迫られています。大学は単に、「教える・研究する場」ではなく、地域や企業と協働しながら、新たな価値を生み出す存在へと変化しているのです。

学生数が減ることで、大学の中で使えるリソースには余裕が生まれる側面もあります。教員の専門性を、地域や企業に還元する形で活かす流れが、今後さらに広がっていくと思います。
米田さんは、高等教育機関である大学の知見や人材を“閉じたもの”にせず、外に開くことの重要性を感じていると言います。実際に、大学が企業向けの講座や研修を引き受けたり、地域でのレクチャーを担うケースも徐々に増えているようです。
深く学んだ経験は、未知の環境でも支えになる
大学で身につけた知識が、卒業後すぐに役立つとは限りません。それでも、自分なりに掘り下げて考えた経験は、どんな分野に進んでも揺るがない支えになります。

大学4年間のうちで、専門領域に集中できる時間は2年半くらいです。たった2年半でも、自分が探求した分野が少しでもあると、異なる分野や業界に進んでも独自の視点や観点からアイデアや解決案を出すことができます。大学に入学するということは、数ある学部から自分で1つを選んだわけですから、前向きに取り組んでみてください。
米田さんいわく、完璧な専門性でなくても、自分なりに問いを持って積極的に探究した経験が大事とのこと。幅広い一般教養を身につけた上で、専門領域を学んだ経験が社会を生き抜く力になります。
学生に求められる、問題解決能力・忍耐力・思考力

これからの大学生に求められるのは、知識をどう活かすかを自ら考え続ける力です。正解のない課題や問題に対し、自分で試行錯誤を重ねる力が、社会に出てからも活きていきます。

社会では、既にある知識を組み合わせて未知の問題に取り組む問題解決能力が必要です。また、簡単に結果が出ない状況を乗り越える忍耐力も将来の力になります。どんなにインターネットで調べても、最後は自分の頭で考え、決断することが求められますから、思考力も重要なポイントですね。
包丁の使い方もままならない料理未経験者がレシピを見ながら調理すると、時間はかかるし失敗する可能性が高いです。肉じゃがやシチューを作った経験は、ハヤシライスやカレーライスに応用可能です。
知識や経験の断片を自分で組み合わせて使いこなす力が、社会を生き抜く力へと変わっていきます。だからこそ、まずはしっかりインプットを重ねておくことも重要です。
学問の自由から生まれる、“学びのホームラン”
大学運営においては、明確な研究成果や短期的な利益だけでなく、「問いを探し続ける営み」にも価値を置く姿勢が求められます。学生にとっての学び方にも通じる学問の自由とは、試行錯誤を保障することでもあります。

研究の中には、何の意味があるのか分からないと思われるテーマもあります。一見、無駄だと思える研究の中から、時折ホームランのような成果が生まれるものです。たとえば、蚊の研究から”痛くない注射針”が誕生したり、素因数分解が暗号通信に役立ったりします。すべてを効率性だけで測るのではなく、”興味の追求、失敗や挑戦が許される度量”のような余白が必要ですね。その点では、大学の4年間は挑戦したり、考えたり、悩んだりする最適な時期かもしれません。だからこそ、有意義に過ごしてほしいですね。
効率や成果が重視されがちな現代において、大学が果たすべき役割はもう一つあります。それは、遠回りに見える問いや、意味が明確でない時間の中にも価値を見いだし、育てていくことです。
大きく育てた“最初の雪玉”が、未来を転がす原動力に
最後に、大学4年間で得たものは、どんな形で未来につながるのかを米田さんに伺いました。

大学時代に蓄えた知識や経験、人脈は、何倍にも膨らんでいきます。最初は小さな雪玉でも、しっかりと丸めておけば、社会に出てから転がすことで大きくなります。特に人とのつながりは、芋づる式に広がっていきます。だからこそ、在学中には積極的に活動して大きな“最初の玉”をつくっておいてほしいですね。
すぐに役立つ知識だけを追うのではなく、地道に積み重ねた経験や人との出会いが、未来の選択肢を広げてくれます。大学の4年間は、あらゆる取り組みへの原動力につながる時間になるでしょう。
学び続ける力こそ、変化の時代を生き抜くカギ

人生の土台を築く時期として、大学の4年間には大きな可能性が詰まっています。ただ知識を得るだけでなく、悩みながら考え、自分なりの問いを育てていく時間が、将来の選択肢を広げてくれます。
また、米田さんの言葉から伝わってきたのは、短期的な成果にとらわれない、地道な積み重ねを大切にする学びの姿勢でした。即戦力のスキル以上に、自分の頭で考え抜く力や他者とつながる経験こそが、変化の激しい社会をしなやかに生きる支えになります。
大学という環境を、どんなふうに使うのかは自分次第。4年間を「なんとなく」で終わらせないために、今こそ進学について考えてみませんか?
