コロンビア大理事・ハーバード大面接官の日本人女性が今、日本の親子に伝えたいこと<前編>「大学受験の失敗からつかんだアメリカンドリーム」

 リセマム編集長・加藤紀子による連載「編集長が今、会いたい人」。第1回のゲストは、日本人女性として初めてアメリカの名門・コロンビア大学で理事に選出された花沢菊香氏。

教育・受験 中学生
日本人女性として初めてアメリカの名門・コロンビア大学で理事に選出された花沢菊香氏
  • 日本人女性として初めてアメリカの名門・コロンビア大学で理事に選出された花沢菊香氏
  • 2011 年には東日本大震災後にファッションを通じて義援金を寄付する非営利団体「ファッション・ガールズ・フォー・ヒューマニティ(以下FGFH)」を設立
  • オンライン取材のようす

 リセマム編集長・加藤紀子による連載「編集長が今、会いたい人」。第1回のゲストは、日本人女性として初めてアメリカの名門・コロンビア大学で理事に選出された花沢菊香氏。

 花沢氏は生まれてから高校まで日本で育ち、コロンビア大学、ハーバード大学ビジネススクールを卒業。ニューヨークでスタートしたファッションブランド「VPL」のCEO(最高経営責任者)のほか、慈善事業家・社会起業家としての顔ももつ。

 昨今の日本における教育業界のホットトピックとして「国際教育」があげられるだろう。海外へ留学する学生数は、コロナ禍前の2019年まで右肩上がり。コロナ禍が落ち着いた今、再び「我が子に海外で学ぶ機会を与えたい」という保護者の期待は高まっている。しかし花沢氏は、「日本にいながらでも、十分に世界で通用する力を育める」と断言する。世界を舞台に活躍する花沢氏へのインタビュー前編は、「日本で生まれ育った花沢氏が実現したアメリカンドリーム」とは。

サスティナブルな会社経営

加藤:花沢さんは2023年に日本人女性として初のコロンビア大学理事に就任されました。また、投資先のファッションブランド「VPL」ではアップサイクル素材*を使用するなど、いち早くサステナブルなコンセプトを取り入れ、レディー・ガガやマドンナ、リアーナ、ビクトリア・ベッカムらセレブたちにも愛用されています。*「アップサイクル」とは:本来であれば捨てられるはずの廃棄物にデザインやアイデアなど新たな付加価値を持たせ、新しい製品を作り出すこと。

サスティナブルなコンセプトを取り入れた「VPL」はセレブたちにも愛用されているファッションブランド。クリステン・スチュワート主演の映画「アンダーウォーター」でも着用されている

 さらに、東日本大震災後にファッションを通じて義援金を寄付する非営利団体「ファッション・ガールズ・フォー・ヒューマニティ(以下FGFH)」を設立。また、コロナ禍では、世界中どこからでも型紙をダウンロードして医療防護服を自分で縫える仕組みを作るなど、慈善事業にも精力的に取り組まれてきました。多方面にわたって精力的にご活躍されていますが、それらの根底に共通する理念というのはどういったものなのでしょうか。

花沢氏:私の活動の多くは「貧困を含む社会の問題を解決するために何ができるか」という思いからです。理事を務めているコロンビア大学では、学費が支払えないという理由で学業を諦めなくても済むよう、日本人、もしくは日本で住んだり働いたりしたことのある生徒向けに約2億円の花沢奨学金を設立し、毎年五人ほど奨学金を出しています。

 また、東日本大震災をきっかけに始めたFGFHはウクライナを含め、世界の被災地に義援金を届けているほか、私が代表を務めるVPLという会社は“B Corporation”といって、社会や環境に配慮した公益性の高い企業に対する国際的な認証を受けています。株主だけを意識するのではなく、社会や従業員、顧客もみんな利益が得られる。営利企業であっても、日本語で言うところの「三方よし」*の考え方こそが、サスティナブルな会社経営なのではないかと考えているんです。*「三方よし」とは:江戸から明治にかけて活躍した近江商人が大切にしていた「買い手よし・売り手よし・世間よし」という精神。自らの利益だけでなく、顧客にも世の中にとっても良いものであるべきだという経営哲学に通じる。

2011 年には東日本大震災後にファッションを通じて義援金を寄付する非営利団体「ファッション・ガールズ・フォー・ヒューマニティ(以下FGFH)」を設立

家業の倒産、大学受験の失敗からつかんだアメリカンドリーム

加藤:花沢さんのキャリアはまさにアメリカンドリームですが、そもそもアメリカに行こうと思ったきっかけは何だったのですか。

花沢氏:中学生のときに父親が興した会社が倒産し、通っていた私立の中学校をやめざるを得なくなって公立高校に進学しました。それまではどちらかというと恵まれた環境だったのですが、生活費も自分でアルバイトをしなければまかなえなくなりました。

 そんなふうに生活が急変したせいか、当時は「どうしたら貧困はなくなるのだろう」といったことを真剣に考えていました。そんなとき、大前研一さんの『新・国富論』を読んでみたら、そこにはどうしたら日本が良くなるのかが書いてあったんです。

 「いったいこの人はどんな勉強をしてきたのだろう」と思って調べると、マッキンゼーという会社の日本代表をしている人だと。そしてマッキンゼーはハーバードビジネススクール出身者が多いということを知りました。ハーバードビジネススクールのミッションは“to educate leaders who make a difference in the world”。つまり「ハーバードに行けば世の中を良くするリーダーになれるんじゃないか」と思ったんですね。

花沢菊香さん(右)とリセマム編集長 加藤紀子(左)。オンライン取材のようす

 ところが大学受験では希望した大学に受からず、通うことになった女子大は良妻賢母を育てるような校風で、ハーバードに行ける道筋が一向に見えなかった。モヤモヤしていた矢先、大学でコロンビア大学の語学学校がやっているサマープログラムの案内を見つけ、思い切ってニューヨークに行くことにしたのです。

加藤:なんと。最初は語学学校からのスタートだったんですね。

花沢氏:そうなんです。もちろん正式にコロンビア大学に入学するにあたっては、必要な英語の試験や学力試験などはクリアしたうえで、当時は語学学校に通いながら大学で聴講していた授業の成績も評価され、入学が認められました。

 日本にいたときは将来のことがとにかく不安で、夜眠れなくて鬱っぽくなってしまっていたんですが、ニューヨークではあっという間に治ったんです。色々吹っ切れて、まっさらな気持ちで勉強に向き合えたことで、乾いたスポンジのようにたくさんの知識を吸収できた気がします。それに、外国だと周りが私をどう思うかなんて考えなくて良いと思えたのも良かったのかもしれないですね。

アルバイトでファッションビジネスを学び、ハーバードビジネススクールへ

加藤:同調圧力の強い日本から離れ、ニューヨークで自由な空気に触れて自分をリセットできた。そこは花沢さんにとって居心地の良い環境だったんですね。

花沢氏:そうかもしれませんね。ただ私の場合、苦労したのは大学の授業料でした。

 コロンビア大学の学費を工面するためには働かざるを得ず、日本の商社の現地法人で、当時は特別に関心があるわけでもなかったファッション部門でアルバイトをしていました。ところがそこで、運良く大きなビジネスの機会に立ち会うことができ、その功績もあってだと思いますが、後々ハーバードビジネススクールに進むことができたんです。

加藤:ハーバードに行く、という目標を本当に実現させた。正真正銘、自分の力で切り拓いたというのは本当にすごい。

花沢氏:もし父の事業が順調で、私も苦労がない暮らしが続いていたら、きっと日本を出ることはなかったと思うんですけどね。

コロナ禍では、世界中どこからでも型紙をダウンロードして医療防護服を自分で縫える仕組みを作った花沢氏。「貧困を含む社会の問題を解決するために何ができるか」がさまざまな活動に共通する思い

加藤:不運に思えたことが幸運につながることもある。山中伸弥さんや松井秀喜さんなど、さまざまな分野の第一線で活躍している人が座右の銘としておられる言葉ですが、まさに「人間万事塞翁が馬」ですね。

 『コロンビア大理事・ハーバード大面接官の日本人女性が今、日本の親子に伝えたいこと<後編>「小さなお山の大将になれ」』へ続く。


《田中真穂》

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