短編小説「紙の動物園」で蘇る折り紙の思い出

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折り紙ができるといいなと思わせる小説の話
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 折鶴を折れずにがっかりされたことがある。

 学生時代、海外の子供たちに日本文化を紹介する機会があった。その中で、一人の少年が折り紙を手に「鶴を折って」と言ってきた。日本人なら誰でも折り紙を自在に折れるものだと思っていたらしい。ところが、こちらは生まれてこの方一羽の鶴も折ったことがなかった。紙飛行機を作ってお茶を濁したが、少年は明らかにがっかりしていた。

 SF作家ケン・リュウの「紙の動物園」という短編小説(『紙の動物園』所収・ハヤカワ文庫)を読んで、久しぶりにそんなことを思い出した。「紙の動物園」はその名の通り、紙の動物がたくさん出てくる話だ。

 主人公は父親がアメリカ人、母親が中国人という青年。アメリカで暮らす彼は、幼い頃からアジアの血が流れる自身と周囲との差異に悩みを抱いていた。母親は英語がほとんど出来ない。元々は香港にいたのを、父と出会って、父とはお見合い結婚らしいが、英語が出来ると嘘をついてアメリカまでやって来たらしい。そんな彼女だが、息子には中国語で話しかけ、更に積極的に中国の文化に触れさせる。

 そうした中で登場するのが折り紙だ。母親は、玩具が欲しいと駄々をこねる主人公を喜ばせるために、ギフトの包装紙やチラシを折って動物を作った。この動物たちが、母親が息を吹き込み膨らませると、まるで命を得たように動き出すのだ。虎は元気に走り回るし、水牛は醤油の中で跳ね回る。それはさながら動物園のような賑やかさであった。

 だが、友達との喧嘩をきっかけに、主人公は母親が持ち、自らにも流れている「中国人らしさ」を疎ましく思うようになる。彼は周囲のアメリカ人文化に溶け込むことを望み、母親には中国語で話しかけないよう言い渡す。母親の方でもそんな息子を気遣い、必死で英語を話そうとするが、上手くいかずに段々と口数が減っていく。息子を喜ばせるために作っていた折り紙もやめてしまう。

 数年後、母親が病に倒れる。大学生になっていた主人公は病床の母を見舞うが、そこでも上手く心を開くことが出来ず、就職の面接があるからと病室を出てしまう。そして移動の最中、母は息を引き取ってしまう。

 紙はどこにでもあって、誰もが日常的に手にする物だ。しかし、それを折って何かを作ることは、その「折り方」を知っておく必要がある。虎の「折り方」を知っていれば、紙が虎になることもわかるが、知らなければ紙は単なる紙のまま使うことしか出来ない。

 あることを知っていれば、目の前の事物の、別の姿が見えてくる。これは何も、小説の中だけの特別なことではない。周囲の人や、今自分が取り組んでいる仕事、到底解決出来そうにない難題だって、別の視点を持ち込めば別の姿が見えてくる筈だ。

 この小説の主人公は、母を「母」としてしか知らなかった。彼女がどういう経緯で中国からアメリカに住む父の元へやってきたのか。どんな子供時代を送り、どのような悩みや苦しみを抱えて生きていたのか。そうしたことを、彼は母が亡くなった後に知ることとなる。もっと早く気付けていれば、母との関係は違ったものになったかもしれない。

 一方、ただの紙を折り紙として見る母親は、折り紙を更に別の見方で捉え、未来に生きる息子のためにとある使い方をする。どのように使ったのかは、是非ともご自身の目で確かめていただきたい。

 折り紙の折り方を知らないからといって、特に人生で困ることはない。だが、知っている方が楽しいことが増えるのは確かだ。何より、人を喜ばせることが出来る。紙飛行機だけでなく、「動物園」が作れるぐらいのレパートリーを持ってもいいかもしれない。

あなたはどれだけ折れますか? ...折り紙ができるといいなと思わせる小説の話

《東十条王子》

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