映画「しん次元!クレヨンしんちゃん」独身男性が悪役

敵キャラにスポットを当てる「敵キャラ列伝 ~彼らの美学はどこにある?」第37弾は、『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE』より非理谷充の描写を考えます。

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『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』非理谷充(ひりや みつる)【松坂桃李】(C)臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会
  • 『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』非理谷充(ひりや みつる)【松坂桃李】(C)臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会
  • 『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』(C)臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会
  • 『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』ヌスットラダマス2世【水川かたまり】(C)臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会
  • 『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』(左)池袋教授【鈴木もぐら】(右)深谷ネギコ【鬼頭明里】(C)臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会
  • 『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力 大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』メインビジュアル(C)臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会
  • 『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』ティザービジュアル(C)臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会
  • 『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』ロゴ(C)臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会
    アニメやマンガ作品において、キャラクター人気や話題は、主人公サイドやヒーローに偏りがち。でも、「光」が明るく輝いて見えるのは「影」の存在があってこそ。
    敵キャラにスポットを当てる「敵キャラ列伝 ~彼らの美学はどこにある?」第37弾は、『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦~とべとべ手巻き寿司~』より非理谷充の描写を考えます。

※以下の本文にて、本テーマの特性上、作品未視聴の方にとっては“ネタバレ”に触れる記述を含みます。読み進める際はご注意下さい。

『クレヨンしんちゃん』映画シリーズの最新作「しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦~とべとべ手巻き寿司~」の敵役であるオリジナルキャラクター、非理谷充(ひりや・みつる)の描写が物議を醸している。

30歳で仕事はティッシュ配り、アイドルオタクで、推しのアイドルが結婚を発表して逆上する。そういう男が宇宙から飛来した暗黒のエネルギーを得て超能力に目覚めると、社会に復讐しようと過激な行動に走る。

『クレヨンしんちゃん』という毎年家族連れで映画館がにぎわう作品に、家族を持てず、アイドルだけが趣味の独身男性が悪役として設定されていることについて考えてみる必要があると思った。

キービジュアル(C)臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会

■ステレオタイプな「非リア充」

非理谷充の初登場は、新橋駅前でティッシュ配りをしている姿である。コミュニケーションに難があるのか、なかなかティッシュを受け取ってもらえていない。さらには、通りすがりのサラリーマンに「社会の底辺」とバカにされる。そこを偶然通りかかった野原ひろしは、彼に手を差し伸べるが、同情されたと感じた非理谷はひろしの手を払いのける。

彼の外見はメガネをかけたやせ型で、好きなアイドルグループのTシャツを着ている。そして、割れたスマホ画面で推しのアイドルと撮影した写真を眺めて、自分はそのアイドルにとって特別な存在だと思い込んでいる。しかし、そのアイドルの結婚のニュースが入ってくると、彼は裏切られたと思い込む。

非理谷充という名前は、「非リア充」の当て字と思われる。そんなステレオタイプと言えるようなキャラクター造形の男が、宇宙から飛んできた暗黒の光を浴び、悪の超能力者となって社会への復讐に走る。

本作には、頑張っても報われない社会への眼差しが、一応ある。日本社会全体が成長せず、何をしても変わらず経済格差が拡大していく状況で、人とのつながりを持てずにルサンチマンを肥大化させた存在が一定数いることが物語の中で示唆される。非理谷もまた、そんな存在の一人であって、暗黒の力を浴びたせいで、そうした負の側面が極端に誇張された存在として描かれている。

『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』

■カリスマのないジョーカー

非理谷は、ホアキン・フェニックスが演じたハリウッド映画『ジョーカー』(2019年)と比較できそうだ。あの映画のジョーカーは、ピエロとして看板持ちをしているところを通りすがりの男たちにバカにされ、痛めつけられる。コメディアンになる夢を持っているが、情動調節障害のせいで、笑いたい場面ではないのに笑ってしまい周囲に気味悪がられている。そんな彼がとある事件をきっかけに悪のカリスマとなり、社会を転覆させる存在となっていく。

後半、大勢の負のエネルギーを注ぎこまれて巨大なモンスターと化した非理谷の外見は、ジョーカーを意識した造形にも見える。しかし、非理谷はジョーカーのようなカリスマにはなれない。悲しいほどに、彼はカリスマ性がない人物として描かれてしまう。

非理谷は悪の超能力者となって街を混乱に陥れる。その後、どういう経緯がわからないが、しんちゃんたちの暮らす春日部にやってきて、ふたば幼稚園に立てこもり園児たちを人質にとり弁当をむさぼる。強大な力を手に入れても、彼は自分よりも弱い存在にその力を向けてしまう。ジョーカーのように、自分をバカにした有名司会者と対峙したりはしないのだ。

家族も友達もいない、無縁状態の独身男性で子どもを人質に取る悪役は、家族連れの観客の目にはどう映るだろうか。暗黒の力という設定とはいえ、偶然手に入れた大きなパワーを社会変革のために使うでもなく、自分より弱い存在を虐げるためにふるう存在は、極めて共感性の低いキャラクターに写るのではないか。非正規雇用で「社会の底辺」のオタク男性は、子どもにとって危険だという間違ったスティグマを与えかねないのではないか。

ヌスットラダマス2世(CV.空気階段 水川かたまり)(C)臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会

■社会が生んだモンスターか、努力の欠如が原因か

物語の後半、非理谷が現在のように「社会の底辺」と罵られる存在になった原因が描かれる。簡単に言うと、彼はそれなりに裕福な家庭ではあったものの両親に充分な愛情を与えてもらえず、同級生からもいじめを受けて孤独だったからというものだ。つまり、個人的な成育環境のせいで歪んだと描写される。

しかし、本作は随所に、現在の日本社会の希望のなさや不平等さを示唆する描写が挿入される。明るい将来が見通せない現在の日本社会に絶望して殻に閉じこもる人間が増えている、その負のエネルギーを集めて社会を転覆させようとする存在も描かれるが、非理谷のルサンチマンは、なぜか社会的な要因ではなく、個人の成育の頑張りの足りなさに帰結させてしまうのだ。

社会は個人の集まりだから、一人ひとりが頑張って自分を変えることでしか社会も良くならないのかもしれない。しかし、現実社会でも破れかぶれの劇場型犯罪が起きているわけで、それを誘発するルサンチマンは個人の問題と言い切れるだろうか。個人の頑張りも足りないのかもしれないが、むしろ今の日本社会に頑張っても報われない構造があるから、社会への復讐心が生まれているのではないだろうか。

非理谷の生い立ちを知った家族連れの観客は、どう思っただろうか。やはり両親が愛情を注がないと、子どもが彼のようなモンスターになってしまうかもしれないという反面教師として見ただろうか。感想は1人ひとり異なるだろうが、誰もが社会をモンスターにならなくてすむような、実りある社会を目指さねばと思ってくれた人がいるだろうか。

家族連れが観る映画に、家族を持てない孤独な人物を敵役として設定した本作。家族を築ける人々と築けない人々を分断するような結果になってほしくないなと、切に願う。



(C)臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会

「しん次元!クレヨンしんちゃん」に潜む危険なスティグマ― “家族のいない独身男性”が悪役という家族向け映画

《杉本穂高》

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