いろんな世代の人とふれあって仲良くなる
「草津楽泉園とみちのくの子どもをつなぐ会」が主催するサマーキャンプ「楽泉園サマー生活楽校」が始まったのは、2011年の東日本大震災の翌年2012年から。外で自由に活動することを制限された子どもたちに、自然豊かな場所で楽しく遊んでほしいと願って、福島を中心としたみちのくの小中学生を対象に開催されてきた。
静かな園に明るい声が響く夏
2019年に行われたのは8月6日から9日までの3泊4日。筆者が訪れた8月7日はキャンプの2日目で、療養所の入所者はもちろん、スタッフの大学生や、草津の地元の有志らと一緒に、子どもたちが「流しそうめん」をしている最中だった。
2日目とあって、このキャンプで初めて出会った子どもたちも打ち解けたのか、流れてくる「そうめん」をつかもうと竹のまわりで大はしゃぎ。なかには、大好きなトマトを箸でせきとめている子もいた。
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追加のそうめんが届くと、最初はスタッフが流していたそうめんを子どもたち自らが流すように。大人も子どもも笑顔でもくもくとそうめんをすする。お腹がいっぱいになるようにと、念のために用意されていたチャーハンもたいらげていた。
昭和19年には1,300名超の方々がここ楽泉園で暮らしていたが、令和元年9月1日現在は59名。高齢化が進み、木々に囲まれた園のなかはとても静かだ。その園に、「よーし、今度はたくさんトマト、とる!」との明るい声が響き、一緒に食べていた大人たちも「とても美味しい」と語っていた。
地元有志や大学生のボランティアも参加
本キャンプの特徴のひとつは、さまざまなボランティアスタッフが支えていることだ。「草津楽泉園とみちのくの子どもをつなぐ会」は、地元の方や大学生などさまざまな有志の集まり、小学校の先生や農業を営む方など、目的に賛同した方々が口コミで集まってきたという。
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地元有志で、第1回から関わってこられた方は、「震災後、外で遊べない子たちがいるって聞いて、それでじゃあこっちに呼ぼうよっていうことになったんだよね。流しそうめんの竹は地元の竹で手作りしたものだけど、今年は新しい竹を用意できなかった。それが残念」と話していた。地元の有志のなかには、楽泉園の元看護師もいる。
大学生有志は、おもに高崎健康福祉大学、東洋大学の学生たち。今年初めて参加した学生は「ハンセン病や療養所のイメージが変わりました。写真などで見て知っていたつもりでしたが、やっぱり違います。五感で感じることができて、ほんとうに来てよかったと思います」と語っていた。
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知ることが心をつなぐ第1歩
本キャンプの目的には、自然豊かな場所でのびのびと遊んでもらうことのほかに、子どもたちにハンセン病を理解してもらい、人権について考えてもらう機会にすることもある。「流しそうめん」のあと、部屋で休んで子どもたちが向かったのは、社会交流会館。ハンセン病の歴史の資料などが展示されている。
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ハンセン病について知る
ハンセン病は伝染病として、長い間、隔離政策がとられてきた病だが、じつは感染力は弱く薬で治る病気だ。しかし、後遺症として手足が曲がったり、顔が変形したりする場合があり、偏見はなかなかなくならなかった。薬で治ることがわかったあとも、長い間、隔離政策がとられ、家族も差別をされることが多かったようだ。
社会交流館では、そうしたハンセン病の特異性について、博物館学芸員の方が子どもたちに質問をしながらわかりやすく解説していた。
「みんなが入所者に会ったとき、手が曲がっている人もいたよね。どうして曲がっているか聞けたかな? 聞けなかったかもしれないね。だから解説しますね」。
そう前置きをして、後遺症として運動神経がだめになってしまったためだと、科学的な根拠を含めて説明してくれた。
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子どもたちが入所者にインタビュー
社会交流会館では、入所者の岸氏に子どもたちが質問する時間も設けられた。まずは岸氏から、小中学生のころにどのような生活をしていたのかについて語られ、子どもたちからのインタビュータイムになった。
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「一番楽しかったことは何ですか?」(栃木県の小学生)
「子どものときに楽しかったのは、夏は山に行って藤のツルにのぼるとか、冬はソリに乗って遊ぶとかですね。あとは1週間に1回映画があって、『鐘のなる丘』や鞍馬天狗などを観に行くのが楽しみでした」。
「この施設のなかで、どれだけ友だちができましたか?」(栃木県の小学生)
「昭和24年にここに来たときは子どもたちが19名いて、男の子が9名でした。小学1年の子も中学3年生もいて、大きい子から小さい子まで一緒に、夏は野球みたいなこと、冬は雪のなかで鬼ごっこをしたりして遊んでいました。環境も違うところから来た人どうしだから人懐っこくて、いじめはなかったです」。
そのほか、ご飯は誰が作ってどこで食べているのかなど、生活にまつわる質問があり、療養所という特殊な場所でも、同じ年代の子どもとして、同じように友だちと遊んだり、感じたりしていたことがわかる話が続いた。
宮崎駿監督の映画「もののけ姫」にもハンセン病患者が描かれているように、古くからハンセン病はその後遺症の特異性から、人々から疎まれてきた。そうした長い歴史をもつハンセン病だが、知ってみれば恐れはなくなってくるのではないだろうか。隣で話を聞けば、「ハンセン病元患者」から「隣人」に変わるのだと感じた。
自然のなかで思いっきり遊び、そして五感でつかんだ学び。それは夏休みだからこその体験だろう。総勢35名、子どもたちは15名と、大人が2人に1人がつくという万全を期した体制のなか、子どもたちにとっては、さまざまな人とふれあい、自分とは異なる人々を受け入れて、協力し合える心を磨く貴重な時間になったように思う。