「人生に意味が生まれる」大学教育がアジアの女性にもたらすもの

 アジア女子大学によるファンドレイジングイベントが、4月22日に草月会館にて開催された。女子教育をテーマとしたドキュメンタリー映画「Girl Rising-少女たちの挑戦-」が上映され、その後にアジア女子大学の第一期卒業生によるスピーチが行われた。

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アジア女子大学 ファンドレイジングイベント
  • アジア女子大学 ファンドレイジングイベント
  • アジア女子大学 ファンドレイジングイベント
  • 左から卒業生のカマラさん、キムスルーさん、フィアット クライスラー ジャパン マーケティング本部長のティツィアナ・アランプレセ氏
  • アジア女子大学 サポートメンバー兼共同司会をつとめるキャサリン・ワッターズ・ササヌマ氏
  • 第一期卒業生 カマラさん
  • アジア女子大学サポートメンバーを務める関美和氏
  • パートナー企業など
  • 安倍昭恵夫人とアジア女子大学の卒業生たち
 アジア女子大学によるファンドレイジングイベントが、4月22日に草月会館にて開催された。

 アジア女子大学は、アジアの有望なリーダーを育成するという信念に基づき、2008年バングラデシュのチッタゴンに設立された大学。現在、アジア15か国から学生を受け入れている。入学者の選考にあたっては恵まれない境遇の女性たちに配慮し、大学卒業者が家族にいない家庭の子女を優先しているという。

 イベントでは、女子教育をテーマとしたドキュメンタリー映画「Girl Rising」が上映され、その後にアジア女子大学の第一期卒業生によるスピーチが行われた。

 2012年にパキスタンで起きたタリバン銃撃事件が示すように、卒業生の出身国には女子教育の権利が認められていない地域も存在する。

 時に命を狙われながらも教育の機会を手放さない彼女たちは、苦難の中で手にした大学生活をどう活かし、何を得、それから何を目指すのか。

 卒業生二人のスピーチをレポートする。

◆大学入学は蛍雪の功「学費のため中学校で教えながら、高校で学んだ」

 まず、彼女たちはなぜ大学に入ることができたのか。入学までの経緯は次のとおりだ。

 カンボジア・プノンペン出身のキムスルー(Duth Kimsru)さんは5人家族で一部屋のアパートで暮らしていたという。「母は、私たちを育てるために家から家を自転車で周り、衣類や自家製の食べ物を売っていました。」と振り返る。

 そのような中でも「私は成功したいと思い、家族の誇りになるような人間になるんだと心に決めた。だから家族の中で初めて高等教育を受けることになった」という。

 ヒマラヤ山岳、ネパール出身のカマラ(Kamala KC)さんは、「私の村の周りには高校がなかった。道も整備されていない中、1時間半かけて歩いた。両親には私や兄弟の学費を出す余裕はなかったので、フルタイムで中学生を教える仕事につき、みんなの学費をまかなった」と話した。1日に45分のクラスを8コマ教える、学生と教師の両方を掛け持つ生活だった。また停電は日常茶飯事で、ロウソクの灯りを頼りに勉強したという。物理的環境には恵まれないものの、彼女の両親はいつも高等教育の大切さを理解し、励まし支えてくれたのだという。

◆座学に留まらない大学のカリキュラム…世銀、民間企業でのインターンも

 アジア女子大学での学生生活についても語ってくれた。

 大学の授業では、“イエスかノーを言う前に論理的に考えること”が重視されたという。

 また、同大学では座学に留まらず実践を重視する方針から、各学生に調査プロジェクトが課される。たとえば社会科学では、二夏をかけて、自身で(テーマ設定し、仮説に基づき)質問票を作成する。その回答データを収集し考察する。キムスルーさんがここでまとめた論文は、2012年に国際ジャーナルに掲載されている。

 授業以外では課外活動や企業等へのインターンも活発に行われる。

 カマラさんは、学業のかたわら「国境のない女性たち」というクラブの代表となり、ホームレスの子どもたちの問題に取り組んだ。また世界銀行とネパールにある小口融資組合でのインターンを経験した。

 キムスルーさんは民間企業(Amansala Resort社)とNGOでのインターンに取り組んだ。PEPYというカンボジアの教育新興団体では一学級の担当も任されたという。

 「カンボジアでは大学を卒業しても職につけない若者が少なくない。こと農村部の学生は都会の学生に劣等感を抱き、頭から勝てないと思い込んでいる。でも、これは何か足りないものがあるだけ。私は成功のカギとなる要素を彼らに教えた。」とPEPYでの経験を振り返る。彼女に触発されて英語や中国語を学び始める学生も現れ、多くの生徒たちが高等教育を受けようと決心してくれたという。外国で学び、英語を流暢に話すことを夢見るように、変化が芽生えたという。
《北原梨津子》

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