サッカー・長友佑都が明大生だったころ…成功の裏側

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長友佑都 参考画像(2016年6月3日)
  • 長友佑都 参考画像(2016年6月3日)
  • サッカー日本代表の長友佑都 参考画像(2016年11月15日)
  • 神川明彦氏
グルージャ盛岡の前監督である神川明彦氏。長友佑都(インテル)らを輩出した明治大学サッカー部の元総監督でもある。

2017年12月末に開催された明治大学の釜崎太准教授が開講するゼミの講義で、「長友選手を中盤からサイドバックにコンバートした理由は何ですか」という学生の質問に答えた。

長友選手は、2005年に明治大学サッカー部に入部。サッカー推薦ではなく、東福岡高校から指定校推薦で明治大学政治経済学部に入学した。2008年にはFC東京に入団し、その年日本代表に。

たった3年で一介の無名選手から日本代表へ上り詰めた。そのサクセスストーリーを語る上で外せないのは、「サイドバック」というポジションへの転向だろう。その指示を下したのは、他でもない神川氏だ。

「入部直後、彼は髪を伸ばしていましたね。身長も170センチくらいで大きくないし、小柄で、華奢だった」

そう目を細めて当時を振り返る神川監督。しかし、身体的には特段目立つことはなかった仮入部の段階でも、長友の「一体一の守備の強さ」は飛び抜けていたという。

「一体一の守備で大切なのは重心。前掛かりになっても、後傾になってもいけない。どんなにフェイントをかけても、最後にボールを少し持ち出す瞬間がある。その瞬間に、体をすべりこませてボールを奪うこと。それが最高のボールの奪い方なのですが、彼(長友選手)はそれが仮入部の段階でできた」

神川氏が続けて引き合いに出したのは2017年度にJ1リーグ昇格を決めたV・ファーレン長崎に所属する福田健介選手。長友の2つ上の先輩であり、当時は明治大学サッカー部に所属していた。

「福田選手が当時の明治大学サッカー部でこの守備がしっかりできている唯一のプレーヤーだったのですが、長友選手は仮入部の段階で彼と同じくらいこの守備ができたんです、驚きましたよ」

「本人は『ボランチをやりたい』と言っていたのですが、当時の彼の技術じゃ難しいと思いましたし、一体一の守備の強さを活かせるのはサイドバックだと判断し、彼をコンバートさせました」

椎間板ヘルニアを発症し、デビューが遅れた長友だったが、大学2年生の後期からスタメンとして後期リーグに出場し、その後世界の舞台へ羽ばたいていった。



また、神川氏は長友選手を、「同じ失敗をくりかえさないインテリジェンスを持っている」と評価する。

「インカレの後期リーグで、長友選手は少し調子に乗っていた時期があった。ある試合で、彼はゴール前でクライフターンをしてボールを奪われるという重大なミスをしたんです。あの時はハーフタイムで理由を説明せず彼を途中交代させました」

「長友選手はのち、『あのときは終わった、来週から使ってもらえないと思った』と明かしていました。まぁ僕は使う気はありましたけどね。彼は同じミスを二度としませんから。そこが彼の本当に優れたポイントです」

「2010年、南アフリカワールドカップの直前にイングランド代表と試合をした時。スピードを活かしたドリブルを得意とするウォルコット選手に最初は抜かれるものの、次からは間合いを明らかに変えましたからね。そこからは抜かれなかったですよ、プロになったいまでも、彼は本当に同じ失敗をくりかえさない」

当時の指揮官が振り返る、明大サッカー部仮入部段階で図抜けていた長友佑都の“ある能力”とは?…サイドバックにコンバートさせた理由

《大日方航@CycleStyle》

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