長々と書いてきましたが、僕が思うところの、現在の2次試験の形態を活かしつつ、教育再生実行会議が指摘する欠点を補う入試の形を、2次試験以降に論点を絞り述べていきます。◆教育再生実行会議が指摘する欠点A.知識偏重であるB.1点刻みであるC.アドミッションポリシーと(現状の)大学入試で判別できる能力にギャップがあるD.主体的に学習に取り組む力が高校段階でつかないE.合格者の多様性が確保できない これを補う入試の形としては、下記が考えられます。1.2次試験で記述による解答の割合を増やす2.点数化される論文試験を課す3.2までで、各大学のアドミッションポリシーに沿った学生を選抜しきれないと判断した場合、その大学においては、2までの合格者を9割から9割5分にとどめ、2までの合格ボーダーライン近傍一定割合をセレクトし、面接または点数化されない論文などの試験を課す 1にするだけで、知識偏重は是正されます(欠点Aの克服)。 2により、アドミッションポリシーに近い学生を選抜する問題を設定する可能性が開けますし、論文では主体的なコミットメントも試せます(欠点C、Dの克服)。5教科試験との点数の割合は、アドミッションポリシーに応じ、各大学個別に決めれば済むことです。 最後に3により、合格者の多様性も確保できることが期待できますし、1点刻みの試験の代案としての納得性が増します(欠点B、Eの克服)。 この形は、今の大学入試制度上で可能ですし、近い形で実施している大学も相当数あるはずです。 「2までの生徒に、3を課す」あたりが、「2までで一度合否を決め、それとは別に3の割合が多い試験を実施する」(現実的な)形態である「分離分割方式」(前期・後期日程での開催)とは異なる提案になりますが。 3について少しだけ補足すると、先に取り上げた面接は、「面接の前までの試験で合格してきた人間を“落とす”ための面接試験」という見せ方をしていますが、3では「面接の前までの試験で不合格だった人間を“受からせる”ための面接試験」という位置づけで見せています。実態はまったく同じなのですが、20歳未満が多数と言う発達段階を考慮すると、点数化されない試験を課す場合には、「受からせるためのもの」という見せ方のほうが、現実に無理なく対応できると思います。 以上、教育再生実行会議であげられた課題を解決する方法論を考えてみました。 課題解決の案を考える際は、どうしても「制度をどうするか」「手法をどうするか」に話がいってしまいますし、それはそれで仕方がないことなのですが、論を展開する間、あるいは論を普段から考える間、決して忘れてはいけないのは、「大学入試で問う力とは何か。それにはどんなものがあるか。それらの力を問う割合(バランス)はどれくらいか。」という視点です。ここを忘れてしまうと、それこそ、制度のための制度になってしまいます。 個人的には、「大学入試で問う力は、学力である。学力とは、学ぶ力のことである。」と定義できると思います。学力を学ぶ力と定義しないから、学力=5教科の力と(無意識に)定義している人と、そうではない人で、論がすれ違う。 入試では、学力を問うと定義しないから、人間力とか主体性とか、別の表現が出てくる。本来は、「学力」の中に全部包含されており、包含されている中の力を要素分解し、「5教科の能力」「主体性」その他の能力をどれくらいの割合で見る試験が望ましいか、目安を文科省が提示し、あとは大学個々のアドミッションポリシーに従い、割合を変化させ、それに即した試験を実施する、でいいと思います。 いずれにせよ、繰り返しになりますが、「大学入試で問う力とは何か。それにはどんなものがあるか。それらの力を問う割合(バランス)はどれくらいか。」と、大学入試の制度設計を考える際は、問いかけ続けなければいけないことだと思います。<著者紹介>寺西隆行(株式会社Z会理科課課長)1973年生まれ、東大工学部卒。高校数学の編集業務を担当した後、2004年からWeb広告・宣伝やWebPRの職務に従事、中高生向けSNSやオフィシャルブログなどの立ち上げに携わる。2009年、10年と2年連続で「日経ネットマーケティング イノベーションアワード」優秀賞受賞PJを率いる。2011年4月より現職。NPO法人CANVASフェローを務めるなど、公私問わず教育業界からの情報発信に精力的に取り組んでいる。※寺西隆行氏のブログ「和顔愛語 先意承問」より一部編集して掲載した。