第48回明治神宮野球大会「高校の部」終了、2017年公式戦をおさらい

 2017年の明治神宮大会は明徳義塾の優勝で幕を閉じたが、これで年内の公式戦行事は(1年生大会や地域の大会を除いて)ほぼ終了したことになる。

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駒大苫小牧・大阪桐蔭
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  • 今年の明治神宮大会はよく入った
  • 静岡・鈴木翔也君
  • 創成館・七俵陸君
  • 創成館・川原陸君
  • 大阪桐蔭・横川凱君
  • 大阪桐蔭・根尾昂君
  • 中央学院・大谷拓海君は二刀流で注目を浴びた
今年の明治神宮大会は明徳義塾の優勝で幕を閉じたが、これで年内の公式戦行事は(1年生大会や地域の大会を除いて)ほぼ終了したことになる。

明治神宮大会の優勝校輩出地区から明治神宮大会枠として、2002年大会(第33回大会)から1校増加となるようになって久しいが、これで37回大会以来となる、四国に1校増枠となることとなった。来春は記念大会ということで元々四国地区に増枠されていたので、結局四国地区は4県で4校が選出されるということになった。

明徳義塾としては1981年以来の優勝ということになったが、馬淵史郎監督としては2002年夏の甲子園、2012年の国体に続いての全国制覇ということになり、「あとは、センバツの旗だけやな。簡単ではないやろうけど、目標にはなる」と、改めてセンバツ優勝に心を向けていた。

明徳義塾は、エースの市川悠太君が安定した投球を見せて中央学院、日本航空石川、そして決勝の創成館と、投げるたびに調子を上げていったという感じだった。また、打撃陣も本来の4番打者・谷合悠斗君を6番に下げる層の厚さを示していたが、その谷合君が準決勝の静岡戦では同点本塁打を放つなど、攻守においてバランスの良さを示した。

明徳義塾・市川悠太君
また、準優勝となった創成館も準決勝では、優勝候補筆頭と言われていた大阪桐蔭を下すなど、力を示した。ことに、追い込まれるとノーステップでくらいついていく各打者のしぶとさは、昨年甲子園で見せた秀岳館のそれを思わせるものだったが、稙田龍生監督は、「無駄な動きをしないで食いついていくということで、そういう練習もしている」とし、平然としていた。

また、投手陣も川原陸君と七俵陸君という2人の左、抑えに癖玉の伊藤修人君がおり、戸田達也君もいつでも投げられる状態というように層が厚い。この大会でも、確実に自信を得ていったと言っていいであろう。

明治神宮大会が全国の地区大会優勝校が集結するようになったのは、1999年の第30回大会からで、それまでは秋季地区大会が終了している地区は優勝校が出場していたが、日程の都合で大会が継続されていた近畿地区や中国、四国地区などでは、各府県の持ち回りで出場権が与えられていた時代もあった。

また、東海地区などでは、県大会の4位校が明治神宮大会出場決定戦を行うということもあった。だから、時に全国的にはあまり知られていないが、地区ではそれなりに強豪というところがいくつか出場してきており、それはそれで楽しかった。

ちなみに、明徳義塾が以前に優勝した1981年の大会では、決勝で愛知県の大府と対戦している。その年の大会で近畿は桜井商、関東は桐生工、九州は嘉穂、中国は山陽が代表となっていた。翌年も、近畿は奈良商、東海は明野、九州は諫早と、当時は健闘していた公立校がそれぞれ出場していたことも興味深い。こうした学校が、明治神宮大会に出場することで、ひとつのきっかけをつかんだということもある。

また、1997年の大会においては、近畿地区以外は地区大会優勝校が出場を果たし、近畿地区だけは持ち回りで滋賀県に回ってきたのだが、その代表として彦根東が出場した。当時の今井義尚監督は、「下手な試合をしたら、帰りは関ヶ原を越されへん」というくらいの決死の覚悟で戦ったというが、ネット裏には関東東京在住のOBなども多く足を運んでくれて、改めて高校野球の素晴らしさを実感したという。そして、このことも大きな励みとなって、2009年のセンバツ代表につながったのだと語っていた。

その彦根東はその後、2013年夏に滋賀大会を制して甲子園出場を果たし、この秋も近畿大会ベスト8で、来春のセンバツの可能性も高まっている。こうした、ひとつのモチベーションにも寄与していた明治神宮大会である。そのため、今の地区大会優勝校の大会ではなくても、興味深い大会になるのではないかという気もしているのだ。

今年の明治神宮大会は大勢の観客が詰めかけた
もっとも、地区大会優勝校が終結するようになって秋の高校野球日本一ということで、その地区に翌年のセンバツ枠がひとつ増加されるということは、それはそれで意味があることであろう。また、全国のレベルのモノサシとして、「どの地区が強いのかなぁ」と、ファンにとっては地区のレベルを推察する要素にはなる。

ちなみに、明治神宮大会の優勝校が翌春のセンバツも制したという例では、1999年以降では2001年の報徳学園のみだが、2003年優勝の愛工大名電は準優勝、2005年優勝の駒大苫小牧は翌年夏の準優勝を果たしている。

近年では、明治神宮大会の実績が顕著に翌年にも表れていて、2010年優勝の日大三は翌夏に優勝。2011年優勝の光星学院(現八戸学院光星)は翌年に春夏ともに準優勝。2015年優勝の高松商と2016年優勝の履正社はともにセンバツ準優勝。果たして、明徳義塾は来年のセンバツではどんな成績を残すのだろうか、注目したいところである。

ところで、1999年以前では、1997年優勝の横浜は翌年、春夏連覇を果たしている。また、明治神宮大会優勝校が翌年のセンバツを制した最初の例は1983年優勝の岩倉である。センバツでは桑田真澄、清原和博らを擁するPL学園を下しての優勝だった。

【THE INSIDE】第48回明治神宮野球大会「高校の部」…今大会と歴史を振り返る

《手束仁@CycleStyle》

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