1953年の創業以来、私学へと進む子供たちを応援し続けてきた日能研。他の受験部門をもたず、「12歳の選択」である中学受験に特別な想いを込め、子供たちの伴走者であり続けてきた塾だ。
東京私立中学高等学校協会・会長の近藤彰郎先生(八雲学園中学校・高等学校理事長・校長)と、神奈川県私立中学高等学校協会・理事長の工藤誠一先生(聖光学院中学校・高等学校校長)を迎え、日能研取締役副社長の茂呂真理子氏がこれからの人間教育の本質について迫った。
前後編でお届けする本企画。前編では、私学教育の価値、そこに込められている不変の想いについて聞く。
激動の時代に求められる私学の「原点」
茂呂氏:少子化が進むさなかにあっても、首都圏の中学受験者数は高い水準を維持しています。まさに、世の中の期待が数として表れていると感じていますが、いま、私学に対してどのような期待が寄せられていると考えておられますか。
近藤先生:私学の成り立ちに目を向けると、本質が見えやすくなると思います。
日本の私学は、江戸時代後半に大きく発展した寺子屋や私塾。さらに遡った室町時代の禅寺から始まった教育にルーツがあります。それが江戸時代後半、「弱者や女性を含め、市井の民もしっかりと学び、読み書きができなければならない」という強い思いから、仏教の一流派の閉ざされた教育にとどまらず、いろいろな人に光をあてる教育へと発展しました。その後、近代的な学校制度へと組み込まれたわけですが、「国の定めた一律の枠組みにとどまらず、さまざまな場所に光を当てる」という役割は、今も昔も私学が担い続けています。
私たちは「建学の精神」や「多様な教育」という言葉を使いますが、同じ価値観を共有し、ときに多様な考え方に触れながら「人間同士のつながりを大事にしていく教育」こそが私学の命です。私学は、設備や場所がもともと存在していたから学校になったわけではなく、学びたい人が集い、学びの場がつくられて始まったものです。それゆえ、今でも人と人が集い、集まった人のために教育を行い、「人間としてどう生きるべきか」を肌で感じ、学びあうことは、私学の真の価値だと思うのです。
工藤先生:私学の根底にあるのは自由と多様性です。世界人権宣言の中にも、民主主義国家において「親は子に受けさせる教育の種類を選ぶ権利をもつ」旨が明記されています。公立の教育なのか、私学なのか、私学の中でもどのような学校を選ぶのか。こうした選択を、格差なく自由に行えるという点で、就学支援金制度はとても大きな動きです。
私学でいちばん大事なのは、それぞれの独自の理念のもと、多様な教育方針やカリキュラムの学校があるということです。それらの学校の中からそれぞれの家庭の方針にあうところを見つけ、選択できることこそが私学に進学することの魅力と言えるでしょう。
私学は、入学してからの6年間だけでなく、子供たちが社会に出る、10年先を見据えて教育を行います。生成AI時代の今は、知識だけではなく、問いの立て方が重要です。そういった力を、感性が鋭い中高6年間の時期に養うことがとても重要だと考えています。

「無償化」の先にある私学教育の本当の価値
茂呂氏:ちょうど工藤先生から「就学支援制度」についてのお話があったところで、おふたりのお考えをお聞かせください。東京都、神奈川県の私学協会の会長・理事長という重責を担っていらっしゃるお立場から、私学における就学支援金制度(実質無償化)は、今後の私学教育、あるいはご家庭にどのような影響を及ぼすと考えていらっしゃいますか。
近藤先生:大前提として、子供たちが経済的な理由で諦めることなく行きたい学校を選べるようになったという意味で、間違いなくこの制度は素晴らしいと思っています。東京では、昨年から中学・高校ともに私学を希望する生徒が確実に増えています。
一方で、授業料無償化の「無償化」という言葉だけが独り歩きしないようにしなければいけないと思っています。私学は、ご家庭からいただいている費用で、維持できている教育があります。無償化による経済的な恩恵ばかりに目が向くと、私学が本来もっている「自立した教育環境」や、それぞれが紡いできた「建学の精神」に対する関心が薄れてしまうのではないか、という懸念があります。だからこそ、制度の趣旨を正しく捉え、私学の独自性を守りながら、この流れをより良い形で未来へ続けていく必要があると考えています。

工藤先生:この制度は神奈川県の私学にも大きな変化をもたらしており、ご家庭にとって学校選択の自由が広がったことは歓迎すべきことと考えています。
ただし、私も近藤先生と同じく、公的な資金が投入されることによって国や自治体のルールに縛られ、私学が本来もつ「自由」や「独自性」が失われてしまわないかという点に不安を感じています。
公立とは違う教育を期待して私学を選んでくださる方々の信頼を裏切る結果とならないよう、私たちはこれまで以上に、質の高い独自の教育を愚直に追求していかなければならない。そうした謙虚な姿勢、質の高い教育が今、私学には求められていると感じます。
茂呂氏:私学が自立した独自の教育を維持していくことが、未来を拓く子供たちの幸せに繋がると私も日々実感しています。では先生方は学校を運営し、子供たちと共に日々過ごされる中で、私学が私学として実現したい「教育の質」についてはどのようにお考えですか。
近藤先生:「教育の質」とは、建学の精神をもとに実践するべきですが、それが独りよがりになってはいけません。良い教育をするというのは、子供ひとりひとりの「個」を徹底的に大事にすることに尽きます。人間は誰もが異なる個性をもっています。その個性を先生が見出し、個を大切にしながらその子を伸ばしていき、子供がそれぞれの場所で輝けるように育てることではないでしょうか。それができるのが私学だと考えています。そうした教育ゆえ、学校と家庭が「想い」でつながり、卒業した後もその「想い」があるからこそ、私学は多くの人に支えていただけるのだと思います。
工藤先生:激変する世の中において、人間が生きるうえでもっとも求められるのは、やはり「コミュニケーション力」だと考えています。最後に人を動かすのは人間同士の共感や人を通して伝えられる言葉や説得力であり、これはAIには代替できないはずです。これらを育むことが、「教育の質」において大切にすべき点だと思います。理路整然と説明ができることよりも、共感力がとても大切だと思うのです。
共感力の会得は、いかに多様な経験を積み、豊かな喜怒哀楽を味わったかに左右されます。たとえば「かなしみ」という言葉をひとつとっても、心が引き裂かれるような「悲」、切なさを表す「哀」、そして思いわずらうような「憂」と、異なる感情があります。物事の背景を想像し、問いを立て、他者の心に寄り添う力は、中高6年間というもっとも感性が鋭い時期にこそ豊かに育まれる。大切なのは、単なる知識ではなく、結局は「アート」です。独自の感性を引き出す教育ができるのが私学の強みだとあらためて思います。本校でも、感性を磨くための芸術講座やライフスキルを学ぶ課外講座などを独自に開講しています。

茂呂氏:私たちも日々小学生と接する中で、SNSなどの短く断片的な表現に触れる機会が多い今の子供たちには、言葉の奥にある意味や文脈を読み取り自分の答えとして表現する力が、これまで以上に求められていると感じます。最近の私学の入試問題を拝見しても、その言葉がもつ文化的な背景まで含めて理解する、コミュニケーションすることの大切さについてのメッセージが込められているように思います。
私学における「先生」の在り方
茂呂氏:これらの質の高い教育を実現するうえで、もっとも重要な役割を担うのが先生方であると思います。私学における「先生」の在り方については、どのようにお考えでしょうか。
近藤先生:多種多様であることを認めながら、「この子のためにやり遂げる」という共通の思いを、私学の教育に携わる大人、すなわち「私学人」皆がもつことが大切だと考えています。いわゆるトップ校に入れる子だけが社会の主役ではありません。チームを支える立場で力を発揮する人、誠実さをもって現場を切り盛りする人など、多様な人間がそれぞれのもち場で輝いて初めて、社会は健全に成立するのです。
茂呂氏:エデュケーションの語源は、ラテン語の「educere(外へ導く、引き出す)」だと言われていますね。もともと子供がもっているものを引き出して花を咲かせる。それに寄り添う大人の在り方が重要ということですね。
工藤先生:聖書の中に「風はどこからふいてどこに行くかわからない」という言葉がありますが、風の中に種をまくことこそが教育だと思っています。子供たちは種です。その種が飛んでいって、大きな花を咲かせます。でもどこに飛んでいくかはわかりません。それでも、花を咲かせると信じて子供たちに寄り添うということが大事です。
私学が守り続ける「人間教育」
茂呂氏:私たちは長らく、私学に進学する子供たちを応援し続け、歩んでいます。積み重ねた歴史の中で、私学には教育の理念があるからこそ、変わらない部分がある一方で、理念があるからこそ積極的に変わり続けられる、「変わらないために変える」という柔軟性をもっているのが私学であり、魅力であると感じています。変化のスピードが速い時代に、私学としてこうありたいという思いをお伺いできますか。

近藤先生:とかく世間では、大学の合格実績ばかりが学校の価値として語られがちです。もちろん、それを目指す生徒の夢を叶えることは素晴らしいことであり、学校としても全力で応援します。ただ、目先の進学実績や数字を上げるために、教育方針が揺らぐなど、ネガティブな変化が起きてしまうのは非常に残念です。お預かりした子供たちの成長を6年間しっかりと見守る覚悟と一貫性をもつことこそが、私学が提供すべき価値なのではないでしょうか。
工藤先生:変化の激しい時代には、前向きに変わり続けることが重要です。社会は、絶えず矛盾を生み出していくものです。解決しても、次々に生まれる矛盾に対して向かっていく。私学は、そうした「変革の能動者」であってほしいと思います。変革に対して挑んでいく力を育成していくというのは、教育においてもとても大切です。
<<後編に続く>>
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