写真で見る大学野球「七帝戦」の盛況、応援団・チアや選手の姿全36枚

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東大球場のスコアボード
  • 東大球場のスコアボード
  • 名大vs九大
  • 名大と九大のスタメン
  • 三塁打した九大・田原君(農3・鶴丸)
  • エールを送る九大応援団
  • 九大・森田君(工3・米子東)
  • 九州大応援団
  • 名大・野崎君(工2・明和)
東京六大学野球や東都大学野球などに代表されるように、大学野球は原則、リーグ戦で行われる。

リーグ戦だからこそ投手起用の駆け引きや、各選手の調子の良し悪しやチームとしての勢いに左右される面白さがある。そのリーグ戦の原点となっているのは、早慶戦に代表される対抗戦だ。

この対抗戦の歴史は古く、そもそも明治時代に野球が学生の間に普及したのは、当時の文化の担い手ともいえる当時の官立高等学校の第一高等学校と第三高等学校の学生が率先して親しみ、対抗戦を行ったことに端を発している。1906(明治39)年から正式に一高と三高の対抗戦が開催されている。

それを追うように四高と八高、五高と七高、さらに地名校として松山と山口なども対抗戦を通じてライバル関係として成長していった。その対抗戦の延長線上にあると言えるのが全国七国立大学総合体育大会(七帝戦)である。
太平洋戦争を経て日本が敗戦国となると、学校制度も大きく変わった。当時設けられていた全国に七校あった帝国大学は通常の大学と移行していった(戦前は統治下にあった台北と京城にもあったので九校)。

そんな学制改革から何年か経過して新学制制度が定着してきた頃に、旧帝国大の流れを汲む国立大がスポーツの交流戦を行おうという運びになった。そして1962(昭和37)年に北海道大を主管として第1回大会が始まる。今年で55回目となり、大会主幹は東京大である。ということで、試合は東京・本郷の東大球場で3日間開催された。

人工芝の東大球場は、神宮球場で使用していた芝生が回ってきているという。都心で緑に囲まれた球場があるあたり、さすが東大だ。そして、かつて国立大はスポーツにおいても、その理論と実践において先行する存在だった。事実、愛知大学野球連盟の名古屋大などは、戦後すぐの創立当初は優勝争いの常連校だった。また、そこから愛知県内外の中学や高校に幾多の指導者たちも輩出してきた歴史もある。
現在は東大が東京六大学で苦戦し、京都大が関西学生六大学で苦戦しているように、大規模な有力私学が強化していけばかなわない。それでも、仙台六大学リーグでは東北大が、九州六大学リーグでは九州大がそれぞれ健闘している。

東北大は、3番鳩原君(工3・仙台二)、4番内堀君(工3・高崎)などはスイングも鋭く、思い切りもよかった。鳩原君は春季リーグではベストナインにも選出され、打撃ベストテンも3位に食い込んでいる。また、投手陣も橋口君(工3・県千葉)と谷口君(教2・函館ラ・サール)の2選手がベストテンに食い込んでいる。また、遊撃手の相ケ瀬君(文2・宇都宮)も広い守備範囲で好守を見せていた。春季リーグでは東北学院大に勝利し、宮城教育大からは勝ち点を奪っている。東北福祉大の壁は厚いだろうが、秋季リーグ戦が楽しみだ。
各校ともに学生応援団がスタンドを陣取っており、大いに雰囲気を盛り上げてくれた。夏の炎天下のもと、受験勉強では優等生であった者たちが、自分自身を燃焼させるかのように大声を出し、仲間に声援を送る…。そんな構図もよかった。

そして難関大学を突破してもなお好きな野球に没頭し、学生生活を送っていこうとしている、この七大戦に出場している国立大の野球部員たちが、少しうらやましく、まぶしく感じられた。

なお、来年の主管校は名古屋大だという。6月下旬ころから、野球だけではなく陸上競技や水泳、バレーボールやハンドボールなどの球技なども含めて七大学で競い合う一大イベントとなっている。

【THE INSIDE】大学野球「七帝戦」の盛り上がり…国立大の野球部員がまぶしい

《手束仁@CycleStyle》

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