2.「失敗してもいいのだ」という学び 上記の授業中何度も共有ファイルが固まり(画像を同時にたくさん入れてしまったため)、何度も授業が中断します。そのため、当然のことながら「あー今日はここまでやりたかったのに…」と思う到達点まで到達できない可能性が高くなります。 「あれ? 授業でそれはマズイのでは?」と思われる方もいるでしょう。しかし、見方を変えると、下記のような思いも湧いてきます。「詰め込み過ぎの授業って窮屈だし、逆に記憶に残らないときもあると思いませんか?」「自分自身が経験した授業って、ゆとりがなく何をやったか覚えていないものもありませんか?」 教師が考える「教えたい」と、生徒が考える「理解したい」の差が余りにも激しいと、「つまらない授業」となって、学力向上に寄与しません。 デジタルの道具を導入することで、教師側に、思いきって「教えたい! と思っている、過剰な部分を“捨てる”」という行為が誘発される部分もあるのではないか、と思います。 加えて、挑戦することが求められている日本社会において、「完璧ではないところを見せる」「失敗を一緒に経験する」ことは、10代後半において大切な経験的学びではないでしょうか。 タブレット授業にチャレンジしているからこその、ちょっとした失敗という結果。僕自身には「すごい!」と思えることでした。