高輪築堤、保存方針まとまる…鉄道開業時の遺構が出土

JR東日本は4月21日、国際交流拠点を目指して同社が進めている再開発プロジェクト「品川開発プロジェクト」の第1期エリアで出土した「高輪築堤」について、その調査・保存方針を明らかにした。

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「3街区」と呼ばれるゾーンに残る橋梁部は「明治時代の錦絵に描かれた当時の風景」がそのまま残っているとして、現地保存されることに。このため、周辺では建物などの計画変更が行なわれる。
  • 「3街区」と呼ばれるゾーンに残る橋梁部は「明治時代の錦絵に描かれた当時の風景」がそのまま残っているとして、現地保存されることに。このため、周辺では建物などの計画変更が行なわれる。
  • 橋梁部の現地保存イメージ。建設当時の風景を感じられるように整備される。
  • 残存状況が良好として現地保存される「2街区」の公園隣接部。
  • 公園隣接部の現地保存イメージ。文化創造施設と一体的に公開することで、築堤を身近に感じられるものにするという。
  • 前後の築堤が鉄道らしい景観を残しているとして、移築保存される「4街区」の信号機土台部。
  • 信号機土台部の保存イメージ。高輪ゲートウェイ駅前の国道15号線沿い広場への移築が検討されている。
  • 高輪築堤の記録保存調査範囲(黄色部分)。取り外した石や杭、築堤内部の土層の状況を調査・記録する。橋梁部や公園隣接部、築堤を土中に埋めたまま現地保存できる範囲は対象外となる。
  • 建設当時の「高輪築堤」。築堤の幅は平均6.4m。東京の城南地区にある「城南五山」と呼ばれる高台のうち、八ツ山や御殿山から搬出した土砂を、牛馬やトロッコを使って運び、埋立てに利用したという。
JR東日本は4月21日、国際交流拠点を目指して同社が進めている再開発プロジェクト「品川開発プロジェクト」の第1期エリアで出土した「高輪築堤」について、その調査・保存方針を明らかにした。

高輪築堤は、1872年10月に開業した新橋(後の汐留)~横浜(現・桜木町)間の鉄道建設時に海上に構築された築堤の一部で、考古学や鉄道史において稀に見る貴重な遺構であることから、その調査や保存のあり方が2020年9月から7回にわたり、有識者による「高輪築堤調査・保存等検討委員会」で協議されてきた。

報道によると、有識者は全部保存、JR東日本は一部保存を主張していたとされていたが、協議の結果、「橋梁部を含む約80メートルおよび公園隣接部約40メートルの2箇所を現地保存とする」「信号機土台部を含む約30メートルを移築保存とする」「記録保存箇所については、詳細かつ慎重な調査を行う」という3点の方針がまとめられた。

JR東日本ではこれらを踏まえて「最新技術を活用して当時の築堤の景観を体験できる展示や、まちづくりの中で連続的に築堤位置を感じられる工夫をすることで、築堤の価値を次世代に継承し、地域の歴史価値向上と地域社会への貢献を目指します」としており、現地保存や公開についての検討を行なうとともに、東京都の港区教育委員会と連携して、考古学や鉄道史、土木史といった分野の知見に基づき記録保存調査を進める方針。

「高輪築堤」の保存方針がまとまる…鉄道開業時の遺構が東京で出土

《佐藤正樹(キハユニ工房)@レスポンス》

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