【シリコンバレー子育て事情-1】はじめまして! グレースです

 振り返れば15年、流れ流れてオハイオ、ミシガン、カリフォルニア。結婚、現在3年生と8年生(中学2年生)の2女児を出産、そして離婚を経験し、アメリカでシングルマザーとなる。

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オフィスの わ・た・く・し
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 思い起こせば1996年、医学部にありがちな“お家騒動”の末、教授から「1年だけ海外で乗り切ってくれれば必ず呼び戻す」という任侠道の口約束のような不確実なコミットを信じ渡米したものの「来年には必ずポジションを用意するから」「あと1年」「もう少しだけ」…、気が付けば2010年も終わろうとしている。振り返れば15年、流れ流れてオハイオ、ミシガン、カリフォルニア。結婚、現在3年生と8年生(中学2年生)の2女児を出産、そして離婚を経験し、アメリカでシングルマザーとなる。

◆流れ着いたのはシリコンバレー

 ここシリコンバレーに根を張り、数々の訴訟をこなして移民法、会社法、家族法、民事(医療)にも結構詳しくなったような…。はじめまして、グレース(Grace)です。バタ臭い名前ですが、勿論、本名ではありません。私が最初に所属したオハイオ州シンシナティ大学のMonaco教授(通称、ボス)は「H」の発音が出来ないオトコだった。Hirokoを「H」抜きで連発するので「慎ましやかな日本女性として、その呼び名には耐えられない」と進言したところ、たちどころに「それじゃあ、今日からお前はGraceだっ!」という事になってしまった。グレースがどこから飛び出したのかは定かではない。同様にしてスリランカのナナヤカラさんはボブ、パキスタンのバグーさんはマイクとなった。以来15年間、私は論文も保険証もクレジットカードも、名義はグレースとなっている。

 私は1996年に「ポスドク」という身分で渡米した。アメリカの大学は「Post Doctoral Research Fellow:ポスドク」と呼ばれる、博士号を取り立ての、いわゆる「低賃金でこき使うことが出来る」研究者の労働力によって成り立っているといっても過言ではない。世界各国から来るポスドクの給料は医者でさえキャンパスの清掃員より安かったりするのが現実で「独身ならばそこそこアメリカ留学を楽しめる」「子どものいない夫婦なら何とかなる」「子どもが出来たら日本の貯金を崩し」「2児が出来たら飢え死に覚悟」と言われている。

 こんな不条理な状況にもかかわらず、日本を含む各国からのポスドクが昼夜を問わず勤勉に大学に貢献するのはひとえに、国に帰ったら「アメリカ帰り」という輝かしいレッテルの許に誰もが羨むポジションが約束されているから。ところが私は気が付いた。1~3年のポスドク期間を終えてオトコは大半が日本に帰る。しかし、日本女性でそのままアメリカに残る逸材のなんと多いことか。ポスドクに限って言うならば、そもそも独身女性の絶対数が少ない。私がシンシナティの医学部にいた1996年の日本人医師の会では私は「嬉し恥ずかし、紅一点」だった。ちなみに女性が強い中国ではポスドクの男女比は1:1。

 その後、シンシナティ医学部には2年間で2人の独身女性がやって来た。2人とも「自称Aランク」のいい女だ。2人とも渡米当時には「私は後輩の女性達の期待を一身に受けて来ました。アメリカで業績を上げて2年で大学に戻り後進の女性につなげたいと思います」と、確かに言っていた。しかし、半年後には2人とも米国内の就職に向けてレジメを書いていた。

 さらに、女性には「結婚して市民権を取る」という男性にはちょっと難易度の高い裏技もあり、特に日本の古式ゆかしい女性はアメリカで大人気を博していることからも、男性に比べアメリカに残りやすい環境にあるのだろう。こうしてアメリカに残り、市民権あるいは永住権を得て結婚、子育てに勤しむ女性を「現地妻」あるいは「現妻」という。これに対し、輝かしい肩書きの夫の海外駐在に伴い日本から1~5年の期間で在米する女性を「駐妻」、蛇足であるが、日本でミリタリーのいい男と出会って結婚してアメリカに在住する女性は「ミリ妻」「軍妻」などと呼ばれる。

◆子どもの権利に対する日米の意識の違い

 アメリカでは子どもの権利に対して日本では考えられないほど厳しく法で管理されている。子どもを家に残して外出すれば最悪の場合、親権剥奪になる。昨年、日本人駐在員に本当にあったコワい話…。

 子どもが熱を出したので駐在員は妻と子どもを病院に車で送り、自分はそのまま出社した(家まで送れよっ!と言ってやりたい)。妻は受診後、子どもを連れて歩いて帰宅し、子どもを寝かせてから薬を買いに(またまた徒歩で)出かけた。妻が出かけるとすぐに子どもは目を覚まし、母親を求めて三輪車で外へ出て、4車線の大きな道路を三輪車で渡ろうとしているところを保護された。駐妻は逮捕され、親権剥奪がテーブルに載った。この件は「アメリカに来て日が浅くルールを知らなかったこと」「日常的に子どもを1人にしていないこと」「夫の会社が雇った弁護士が辣腕だったこと」などから不起訴となり、初回に限りお咎めはなかった。

 これは子どもの権利に対する日米の意識の違いのほんの一例である。アメリカではまず州法が適用される。州法は州によって大きく異なる部分もあるが、高い離婚率に起因する離婚条件を巡る数多の訴訟で裁判所がパンク寸前にあるアメリカでは、両親の離婚による最大の被害者であり、両親の離婚により著しく不利益を被る「子どもの権利」についてはどの州も厳格である。「親権剥奪、上等!」なのである。

 次回はアメリカ(特にシリコンバレー)における教育現状と、教育現場におけるIT導入の状況についてご紹介させていただく予定である。日本にも近い将来、必ず浸透するであろう教育形態のモデルケースとしてリセマムの読者である賢い女性にはぜひ、時流を先取った情報入手と同時に、教育先進国といわれるアメリカの問題点や疑問点も感じ取っていただければ幸甚である。

≪プロフィール≫
Grace(Hiroko) YAMAZAKI
東京都出身。医学博士(東京大学)。横浜市立大学カリフォルニアオフィス所長。横浜市立大学医学部客員教授(解剖学)。1996年にオハイオ州シンシナティ大学医学部へ留学(感染免疫)。1998年にミシガン大学医学部(内科学)に入局。2001年にシリコンバレー(カリフォルニア)に移り、BD Biosciences主任研究員、Kinetech Inc. CEO、丸紅アメリカ(バイオ・メディカル)技術顧問を経て2007年より現職。Japanese University Network in the Bay Area(JUNBA)副会長。専門は感染防御および自己免疫疾患。現在は子宮頸癌予防のプロジェクトに参画し、発展途上国におけるHPV感染の早期発見、検診の啓蒙を行っている。独身。2児の母。
《Grace(Hiroko) YAMAZAKI》

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