武蔵vs麻布、本当に「変」なのは?おおたとしまさ氏&神田憲行氏トークショー

教育・受験 その他

武蔵vs麻布 本当に 「変」なのはどっち? 2017年9月16日に紀伊國屋書店新宿本店で行われたトークショーのようす (c) 下城英悟
  • 武蔵vs麻布 本当に 「変」なのはどっち? 2017年9月16日に紀伊國屋書店新宿本店で行われたトークショーのようす (c) 下城英悟
  • トークショーに登壇したおおたとしまさ氏 (c) 下城英悟
  • トークショーに登壇した神田憲行氏 (c) 下城英悟
  • トークショーに登壇したおおたとしまさ氏 (c) 下城英悟
  • トークショーに登壇した神田憲行氏 (c) 下城英悟
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  • 武蔵vs麻布 本当に 「変」なのはどっち? 2017年9月16日に紀伊國屋書店新宿本店で行われたトークショーのようす
 9月16日、教育ジャーナリストおおたとしまさ氏による「名門校『武蔵』で教える東大合格より大事なこと」(集英社新書)の刊行を記念し、紀伊国屋書店新宿本店にて対談イベントが開催された。「『謎』の進学校 麻布の教え」(集英社新書)の著者である神田憲行氏をゲストに迎え、「武蔵vs麻布 本当に『変』なのはどっち?」をテーマに、両校のユニークな日常から教育の本質をめぐる話まで、多彩なトークが繰り広げられた。

◆「武蔵」と「麻布」は似ている?

 おおた氏の新著では、謎多き名門進学校「武蔵」の実態が、同氏の丁寧な取材に基づき、つぶさに描かれている。

 武蔵は1921年、東武鉄道のオーナー根津嘉一郎が莫大な私財を投じて設立した、日本初の私立7年制高校である。戦前までは12歳で武蔵に合格すれば、ほぼそのまま無選抜で帝国大学に入学できる特権が得られ、受験競争とは無縁の“真のエリート教育”が行われていた。その精神は、戦後から今に至るまでも、縷々として受け継がれている。

 大学を合わせれば敷地は東京ドームの約1.5個分。そのおよそ半分が高校と中学の敷地だ。雑木林があり、小川が流れ、野鳥がさえずる。キノコや山芋が生息し、ヤギもいる。時代が急速に変わりゆく中、恐ろしいほどマイペースで独自の教育哲学を守り続けている。

 一方、神田氏の著書では、同じく男子御三家の一角である進学校「麻布」の、これまた風変わりな実態をリアルに描いている。

 麻布は1895年、教育者である江原素六によって設立され、青年こそが未来の扉を開く担い手であり、未来そのものであるという「青年即未来」を教育理念に掲げる。東大合格者で全国トップ10を半世紀以上の間キープし続けるが、校長は「東大入試のために6年間も使うのはバカバカしい」と言い切り、校則のない、自由闊達な校風だ。ちなみに、おおた氏は麻布の卒業生でもある。

 おおた氏は、校則に縛られない、制服もない自由な校風の武蔵と麻布を「いとこ同士」のような関係だと表現する。神田氏も取材を通じて出会った麻布の教員から、東大進学者だけを評価の目安にする風潮への違和感など、武蔵へのシンパシーを感じたと言う。

 ここで、髪の色が痛々しいまでにカラフル(麻布)とか、校内でタヌキの糞を拾う(武蔵)とか、そんな「変」さを競うために、両校を語るのはあまりにももったいない。彼らにはもっと深いところに共通点があるのだ、と両氏は語る。

◆教養主義に基づく教育

 一番の共通点は教育方針にある。おおた氏はまず、両校への入り口である入試問題を例にあげる。

トークショーに登壇したおおたとしまさ氏
トークショーに登壇したおおたとしまさ氏

 「武蔵も麻布も、空欄が大きい記述式の問題です。武蔵の算数は未だに先生の手書きで藁半紙です。武蔵生なら筆跡でどの先生が出題したかわかってしまいます(笑)。武蔵の理科といえば伝統の『お土産問題』。問題と一緒に封筒が配られ、中にお土産が入っています。今年(編集部注釈:2017年度入試)はネジが2本。これをスケッチさせて考察させるという問題です。さらに武蔵は、入試問題の模範解答例を毎回冊子にまとめて受験生に配ります。

 麻布もユニークな入試問題で有名です。数年前、理科で『“ドラえもん”が優れた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい』という問題が出題され、話題になりました。両校とも、正解を求めるよりも、途中まで頑張っていれば合格できるかもしれない、という試験を作っています。解答欄のすみっこにメモ書きされた筆算や、消しゴムで消した跡まで見ているというくらい、試行錯誤の過程を大事にしています。」

 この入試問題には、両校の教育観が如実に表れているとおおた氏は指摘する。「『何を』成し遂げたかではなく、『どうやって』成し遂げたか。大学受験の準備とは一線を画した、教養主義に基づく本質的な教育を貫いているのです。」

 入学後も、武蔵の授業では、たとえば岩石を6、7週間かけて薄く削り、さらに顕微鏡での観察に3、4週間費やす。ルーペ(虫眼鏡)を片手に、広大な敷地で自然観察を行う。第2外国語が必修で、高校3年生の大学受験期に優秀な生徒を海外のあちこちに一人でほっぽり出すなど、多種多様な「本物」の刺激を与え続ける。

 神田氏は、麻布の教員が発した表現が印象的だと語る。「国語科の中島克治先生の言葉で印象に残っているのは、高校2年生までは本質的な授業をするが、高校3年生だけは大学入試を意識せざるを得ず、やむなく授業内容を『グレードダウン』するのだ、と。つまり、普段の授業はもっと高いレベルのことをやっているということなんですね。」

◆現状を鵜呑みにしない

 武蔵と麻布は、生徒にも共通の資質が見られる。

 おおた氏は、著書に書かれている武蔵の修学旅行をめぐるエピソードの一部を紹介する。

 「付和雷同的になりがちな集団行動を伴う旅行は武蔵らしくない、ということで廃止になった修学旅行を復活させようと、それを公約に生徒会長に当選した生徒にインタビューしました。その生徒が改めて中止になった経緯を念入りに調べたら、廃止の決断はやはり間違っていなかったということに気づいたそうで…(笑)。

 それでも、確かに武蔵と修学旅行というのは概念的に相いれないものだけれど、武蔵らしい修学旅行の形があるのではないか?と彼は粘り強く考え、それぞれが行きたいところに行くという、それはもはや修学旅行ではなくなるんだけれども(笑)、そういうことを後輩たちへの置き土産として模索しているんです。」

 一方で神田氏は、麻布生が髪を染めることの麻布生らしい言い分をあげる。

トークショーに登壇した神田憲行氏
トークショーに登壇した神田憲行氏

 「学校の掲示板に自作の新聞を掲示し、そもそもなぜ、世間では多くの学校が髪を染めることを禁止するのか、禁止することは本当に正しいのかという問題提起をしていました。その新聞も、学校に断ることなく勝手に作って勝手に貼ったらしいのですが(笑)、世間一般のルールが正しいのかどうかを自分たちで考えるのが麻布生の本来のあるべき姿だと言って憚らないのです。」

 つまり、両校の生徒とも、現状を鵜呑みにせず、自らを対象化しようとするという点で共通している。

 さらに神田氏は、その特徴は彼らの口癖にも見られると言う。

 「麻布生と話していると、『他の人に聞いたら違うことを言うかもしれないですけど』とか『もしかしたら間違っているかもしれませんが』といった遠回しな言い方をします。まっすぐ返さず、保険をかけてしゃべるんです(笑)。」

 おおた氏は「武蔵の子も同じ」だと言い、これを「多様性を肯定し、相互の個性を受け入れ合う」という、彼らの人間関係の基盤であると語る。

 「当たり前」を疑ってみる。答えは1つではない。多様な考えを受け入れる…。入試問題から一貫して続く両校の教育哲学は、日々の学校生活の中で生徒たちへと着実に浸透しているのだ。

◆もはや御三家ではない…「塾歴社会」に抗うジレンマ

 毎年3月になるとあちこちのメディアが「東大合格者ランキング」で賑わうが、武蔵は東大合格者が激減し、もはや御三家ではないとまで揶揄された時期もあった。特に武蔵は、1学年160名という定員が、開成400名、麻布300名という数字に比べ、母数の段階でハンディになる。そこで忸怩たる思いを抱いた卒業生有志が、東大を目指す教育をする学校ではないとしながらも「武蔵と受験」という冊子を作った。塾では教えてもらえない、武蔵生らしい受験の戦い方を後輩に伝授し、武蔵は復活を遂げつつある。

 実は1979年から共通一次試験が導入された際、当時の武蔵の大坪秀二校長は教育の画一化を危惧し、中等教育の本質が侵されると警鐘を鳴らすとともに、これを「入試歴社会」と表現したと言う。

 おおた氏は語る。「昨年(2016年)出版した『ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』(幻冬舎新書)にも書いたように、現在は東大理IIIを筆頭に、難関大学への“受験の戦い方”が確立されていて、その戦い方どおり攻略した子が順調に合格できる状況になってしまっています。トレーナーの言うとおりにすれば必ず成功する、まさにライザップです(笑)。僕はこれを『塾歴社会』と呼んでいますが、大坪先生が予見されたとおり、高いレベルの価値ある本質的な学びをしてきた人たちが、大学入試で報われないルールになってしまっている。これが今の受験社会の大きな課題です。だからこそ今、大学入試改革が議論されているのです。」

 神田氏も、尊敬する人物として、麻布の氷上信廣前校長の言葉を紹介した。

 「生徒には『二兎を追え』と。1つは勉強をしっかりすること。もう1つはクラブ活動などを通じて学生生活を充実させること。東大ばかりに偏重すると麻布らしさがなくなるし、だからといってそれを完全に無視して進むわけにもいかない。まさに山の稜線を進むような、バランスの難しさがあると仰っていましたね。」

 大学進学実績を重視しないとなれば、私立としては経営面でそこがほころびになることもあり、本来の教育哲学どころではなくなってしまう。おおた氏は、「たかが東大、されど東大」という「東大の呪縛」が、未だ日本の社会にはびこっていると言う。

 両校とも、こうした現実に向き合いつつ、自らの本質を守り抜くために「塾歴社会」に抗うという、共通したジレンマも抱えているのである。

◆東大合格より大事なこと

 岩石を何週間もかけて削るなど、地道な作業をコツコツと続けることを厭わない武蔵と、愚直な努力が苦手で、要領良く帳尻合わせに長ける麻布。こうしたカラーが違う部分もあるが、両者とも決して「何がなんでも東大」ではない。世の中の価値観に迎合せず、自分の価値観で判断できる生徒が育っていると、おおた氏は言う。

 「麻布も武蔵も、先生たちに余裕があるんですね。先生たち自身が率先して、嬉々として学び続けている。そして人生楽しいぞー、おもしろいぞーって、生徒たちをけしかけているんです。そんな幸せな大人に見守られているからこそ、いい教育が受けられるのだと思います。」

 神田氏も続く。「私が著書を通じて伝えたかったのは、麻布で実践されている教育は、エリートだけに許された特権ではなく、どんな学校でもできるはずということ。ただし、自由に生きよと教えた側は当然それに責任が必要です。そのために先生たちが、どれだけの熱意と努力を生徒たちに傾けているか。そこに深い愛情があるからこそ、彼らが自立へと成長していけるのだと思うのです。」

 昨今の教育現場のブラック化が問題視されているように、日本では多くの教員が過剰労働に苛まれ、疲弊している。決して彼らに、生徒への愛情がないわけではない。心身ともに余裕ができれば、教育のあり方も変わっていくはずだ。

 「今、教育に直接関わりがない人にも、教員を守ることが子どもたちを守り、ひいては我々の未来を守ることにも繋がることや、大事にしなければいけない教育観を我々大人が忘れてはいないか、といったようなことを、こうした本を通じて考えてもらえたらと思います。」とおおた氏が読者へのメッセージで締めくくると、対談イベントは大盛況のうちに終了した。

 新著では、武蔵の教育を媒介に、自分の考える教育観を表現できたというおおた氏。また、麻布の教育を通じて、社会が共有すべき普遍的な価値を見出せたという神田氏の著書とともに、日本の教育に、そして日本の未来に、思いを馳せてみるきっかけとしたい。
《加藤紀子》

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