ポプラ社の協力のもと、リセマムでは、読者限定で本書の一部を無料で公開する。予定調和では終わらない、ときに残酷でリアルな、4つの家庭の「中学受験」の行方はいかに…。
前回のお話はこちら。第二章 真下つむぎ(五月) 3-1
ゴールデンウィークが終わって久しぶりに登校すると、学校がよけいに自分の居場所ではないように感じられた。自分だけ透明なスライムの中に埋もれているような感覚で、教室のざわめきもくぐもったように遠い。まったく密じゃないのに、息苦しいほど窮屈なのが不思議。
席替えがあって、窓側のいちばん前の席に移った。
窓を開ければ風が入ってきて気持ちよさそうだけど、エアコンを入れているので閉め切っている。真夏日で、光化学スモッグも出ているらしい。五月なのにこんなに暑いなんて異常だとママは言っている。環境問題についても、わざとらしく話してくる。日常会話で、そういう話をすると偏差値が上がると思っているのだろう。
昔の季節感を知らないつむぎにしてみれば、これくらい暑いのが当たり前だし、このままでは地球がダメになると言われてもピンとこないし、しょうがないとしか思えない。地球のことまで考えられる余裕があったら、ほかにやりたいことがたくさんある。この世界で、正しいことができる人というのはきっと恵まれているのだと思う。
休み時間、つむぎは塾でみんなとやった暗算ゲームを一人でしてみる。やっぱり6桁あたりでスピードが落ちてしまう。暗算の答えが合っているかノートの端っこに筆算で計算していたら、背後に気配を感じて、つむぎは振り返った。
「何してんの? 」
隣の席になった庄野元気が、勝手に手元を覗き込んできた。
「べつに……ゲーム」
「計算が? 」
「1+1は2、2+2は4、4+4は8って暗算で答えを出していくだけ」
「すげーな。そんなことして面白いんだ? 真下って、意外と頭いいんだな」
「塾で流行ってるだけ。頭よくないし。でも、意外ってひどくない? 」
「あっごめん」
そんな会話をしていると、ちょっと、と例の声が響き渡った。
「元気! 何やってんの? 」
穂月が不機嫌そうに言った。
「暗算ゲームやってみたいなと思って」
「はあ? そんなのいいから、早く、人狼しようって」
庄野は乗り気じゃないのか、ええ? 俺はいいよ、と答えているのに、早く、早く、と穂月が連呼した。まるで女王様。ちらっと振り返ると、きつい目でこちらを睨んでいる穂月と目が合ってしまい、つむぎは慌てて前に向き直った。
「あのね、武田から聞いたんだけど」
お昼休み、愛菜と芽依がつむぎの席に来た。愛菜は、声を潜めて言った。
「武田? ああ、うん」
「こないだ、うちで武田の家族と一緒にご飯食べたの、その時に」
愛菜と武田の家は同じブロックで、家族ぐるみで仲がいいと聞いている。
「和田さんって、庄野くんのこと好きなんだって」
愛菜から聞いていたようで、芽依が先走るように言った。
穂月が庄野のことを好き? 初めて聞いたので、そうなの? とつむぎは聞き返した。が、さほど驚きはない。サッカーがうまくて、走るのも速くて、運動会ではリレーの選手に選ばれている庄野は、女子の人気が高いからだ。穂月が好きになっても、不思議ではなかった。むしろ、女王様がいかにも好みそうだ。
「バレンタインデーにも庄野くんには本命であげたんだって。でも、お返しはなかったみたい」
「ふうん」
つむぎが気のない相槌を返したのにもかかわらず、でねでね、と二人ははしゃいだ。