偏差値28だった僕が、世界TOP20名門大学を卒業するまで

 UCLA出身で、世界トップ大学への進学・留学サポートプログラムを運営するU-LABO代表の小泉涼輔氏にご寄稿いただく本シリーズ。第2弾となる今回は、小泉氏本人の体験談をお話しいただいた。

教育・受験 高校生
無気力な高校時代から一転「初めての」勉強に取り組んだ小泉氏
  • 無気力な高校時代から一転「初めての」勉強に取り組んだ小泉氏
  • 入学してからが勝負…UCLAでの学生生活
  • さわやかなカリフォルニアの気候
  • UCLAの盛大な卒業式

 毎年秋、タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)から発表される世界大学ランキング。毎回注目されるこのランキングで、日本の最高峰といわれる東大は35位(2022年)というのをご存じだろうか。つまり「世界には、東大よりも教育研究活動に対する評価が高い大学が34校も存在する」ということ。たとえば教育大国アメリカは、ハーバード大学、スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)・ロサンゼルス校(UCLA)などの名門大学を多数有しており、同ランキング上位を独占している。

 近年、日本でも海外の名門大学への進学が増えているが、進学への道は決してたやすいものではなく、度重なる挫折や苦労の先にある。UCLA出身で、世界トップ大学への進学・留学サポートプログラムを運営するU-LABO代表の小泉涼輔氏にご寄稿いただく本シリーズ。第2弾となる今回は、小泉氏本人の体験談をお伝えしたい。小泉氏の高校時代の偏差値は驚くことに28。贔屓目にみても勉強が得意とは言えない学生だったという。Fランクの高校生が、見事UCLAへの入学を果たした大逆転ストーリーを紹介する。

勉強する意味がわからない…無気力な高校時代

 高校生1年生のころの私にとって、「学校=我慢の場所」で「授業=部活までの寝る時間」だった。周りからは「ちゃんとした大人になれないから勉強をしろ」と口を酸っぱく言われていたが、それでも「勉強する意味」が腑に落ちることなく、ぼんやりと過ごす毎日だった。

 私が通っていた高校は、地元で有名な不良校。授業といえば、生徒の大半が机に突っ伏して眠る中、先生が機械的に板書して解説するだけ。もはやこの授業態度を問題視するような先生もおらず、受験勉強という概念すらないようなありさまだった。スポーツに力を入れる学校だったため、所属していた部活さえ頑張れば周りから認められる風潮があり、部活漬けの毎日を送っていた。

 そんな矢先、突然「椎間板ヘルニア」を発症し、医師からは「もうスポーツは続けられない」と宣告される。唯一誇れる場だった部活までも奪われ、自分の居場所がどこにもない気がして、どんどん無気力になっていった。

父親の赴任による英語との出会い…やる気のスイッチ

 家と学校との往復をただ繰り返していたある日、当時マレーシア赴任していた父親が、一時帰国した際にインド人の同僚を自宅に招待したことが、私に衝撃を与えた。普段、父親の職場での姿を見る機会もなく、まして日常生活に英語との接点すらなかった自分にとって、英語で仕事仲間と楽しそうに会話する父親が、驚くほど羨ましく思えたのだ。勉強でも部活でも輝けない自分の情けなさに加え、インド人の来客と会話できない自分にもどかしさを感じ、これが「絶対に英語でコミュニケーションを取れるようになりたい」と思いを燃やし始めたきっかけになった。

単語帳1冊覚えたら人生変わるぞ…「初めての」勉強

 ふとしたきっかけから、生まれて初めて「勉強したい」という意欲がわいた私だったが、いかんせん、勉強の仕方がわからない。藁にもすがる思いで、学校の英語教師にアドバイスを求めた。

「単語帳1冊覚えたら人生変わるぞ」

 初めてもらった勉強のアドバイスを信じて、ひたすら単語帳の暗記に全力を注いだ。早朝から就寝前、電車でも入浴中でも、単語帳を肌身離さず持ち歩いて隙あらば頭に叩き込む。部活をできずに空いた穴を埋めたかった自分にとって好都合。何気なく過ぎていく毎日から、週6日16時間の単語の暗記と、休日には海外ドラマを見る英語漬けの日々へと完全にシフトした。

 約2,000個の英単語を暗記できたころには、日常生活で見かける英単語はほぼわかるようになり、洋書も少し読めるほどになった。目の前に広がる、まったく違う世界を前に「これが『勉強する意味』なのか」と納得したのを覚えている。

国内大学で学べる英語の限界

 一方、英語の知識が増えるにつれて、日本の英語教育に違和感を抱くようになった。「英語はコミュニケーションツール」というわりに、受験対策ばかりで会話の機会がない。英語を知識として学ぶだけではなく、英語をツールとして専門分野を学びたいと思うようになったある日、海外大学のパンフレットが目に止まった。海外で異文化に触れながら、英語で自分の学びたい専攻をとことん学べる海外大学は、まさに自分が求めていた環境に思えた。この直感にすべて賭けようと決心した。

カリフォルニア大学編入を見越して、コミカレ進学

 とはいえ、偏差値28の私は、海外の4年制大学に一発合格するような力量をもち合わせていなかった。そこで知ったのが、編入制度。UC編入を目標に、留学先はコミュニティカレッジ(以下、コミカレ)に決めた。2年制大学であるコミカレは、現地の社会人や留学生向けの高等教育機関で、「望めば誰でも学べる」というポリシーを掲げ、入試難易度が低く、学費も安いことで知られる。卒業後は4年制大学に編入可能なので、在学中の努力次第で、名門大学への入学も夢ではないのだ。

 しかし、コミカレにも入学基準はある。その基準とは、TOEFLのスコアだ。目標ができた私は、高校3年生の4月からの勉強の照準をTOEFLのスコアアップに絞った。単語力の土台があったとは言え、専門用語ばかりで、問題文のスピードもとにかく速いTOEFLのスコアアップには非常に苦労したが、どうにか4か月で基準をクリアすることができた。

語学学校生活は、入学までの「助走」

 海外大学進学にあたっては、高校卒業から大学入学の9月までのブランクの間、語学学校で過ごすことがほとんどだ。私も例外ではなく、高校卒業後から9月までの間、人生初のルームシェアをしながら語学学校に在学した。

 コミカレ入学の切符を手にしたものの、渡米後に待ち受けていたのは「TOEFLのスコアと『英語が話せる』のはまったくの別物」という大きな壁だった。それを打ち破るきっかけになったのは、トルコ人・チリ人・ノルウェー人の3人のルームメイトの存在。日本人とは違う魅力的なユーモアと、オープンマインドな価値観。毎晩のように開かれた寮での交流会をはじめ、さまざまな国籍の人と話す豊富な機会が、会話力の飛躍的な上達を導いてくれた。語学学校に通ったのは、たったの4か月。しかし私にとっては、コミカレ入学後の生活のリズムや息抜きの仕方、クラスメイトとのコミュニケーションの仕方などを学ぶことのできた、重要な準備期間となったのだった。

コミカレ入学後に感じた課題

 入学後、私はUC編入のためにオールA評価を取ろうと意気込んだ。学生の努力次第で教授陣もサポートに尽力してくれた。しっかりと努力をすれば評価されやすいコミカレの環境は、自分には合っていると感じられた。

 一方で、コミカレを経ての4年制大学編入までの生活で、いくつかの疑問と課題も浮き彫りになった。

「コミカレから編入」という選択肢の知名度の低さ

 まずコミカレには世界各国から学生が集まっているわりに、4年制大学への編入を視野に入れている同志が驚くほど少なかった。特に日本人は卒業後すぐに帰国してしまう人が多かった印象だ。

編入までのタスクの複雑さ

 4年制編入を目指したコミカレ生活は想像していたよりも孤独だった。すぐに頼れる人もいない中、世界トップの大学を目指すには「成績を1つも落としてはいけない」「編入制度についてきちんと調べ失敗しないように対処しないといけない」「出願時にアピールできるような活動を(勉強とは別に)しなければならない」といった無数のハードルとプレッシャーを背負ったまま2年間を過ごさなければいけなかった。同じくUC編入を目指していた同級生の何人もが、挫折して辞めていった。

編入サポートサービスの少なさ

 先ほどもお伝えしたように、コミカレ在学者の多くは4年制大学編入を目指しているわけでない。それゆえ、編入に関するサポートをコミカレ内に期待するのはお門違いのように思われる。とは言え、当初はUC編入を目指していた仲間が周りに流されて脱落する、もしくは編入先のレベルをかなり落とさないといけないといった姿を目の当たりにし、課題を感じざるを得なかった。

「惰性」では過ごせない大学生活

 幸いにも周囲のサポートと運に恵まれ、コミカレでも納得のいく成績を修めることができた。そして、UCLA合格発表の日。緊張しながら開いた合否通知から目に飛び込んできた「Congratulation!」の文字。憧れの大学への入学が叶った瞬間だ。

 アメリカの大学は、入学よりも卒業の難易度が高いことで知られる。これは編入学であっても同じだ。覚悟はしていたが、その過酷さは想像を大きく上回っていた。 UCLAには、高校やコミカレでA評価を取り続けた優秀な学生ばかりが集まる。早い授業進行に難しい授業内容、さらには優秀な生徒たちばかりという環境。他の生徒はクラブや課外活動に励みながらもテストで好成績を残しているのに、自分は授業だけで精一杯という劣等感。メンタル面のサポートを何度も欲した。

 一方、それを上回る魅力もあった。少なくとも私の周りには惰性で大学生活を送っている学生はおらず、「将来こういう風になりたい」「大きく活躍したい」と、高い志や明確なビジョンをもった学生が多かった。おかげで日々良い刺激を受けることができ、モチベーションを高め合える仲間たちにも恵まれた。

後輩のためにできること

 偏差値28だったFランク高校時代から、今の自分の姿を誰が想像できただろうか。留学への決意とUC入学は、間違いなく人生を大きく変えた選択だった。しかし、その選択は奇跡に近いものだった。

 当時の自分のように、自分の未来が定まらず、くすぶっている高校生に伝えたい。「海外大学進学をもっと身近に感じてほしい」「国内大学と同様に、コミカレへの進学を視野に入れてみてほしい」「海外4年制大学への編入制度を知ってほしい」。そんな思いと、UCLAで会得したパッションを胸に、立ち上げたのがU-LABOのサービスだ。

 自身の経験から、進入学、そして学生生活の中で必要と思えるサポートを詰め込んだ「カリフォルニア大学編入プログラム」。自分の将来を切り拓くために、そして視野や価値観を広げるために、選択肢の1つとして考えてみてはいかがだろうか。

小泉涼輔(こいずみりょうすけ)
UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)卒業。世界4大会計事務所の1つであるプライスウォーターハウスクーパース(PwC)入社後、国際税務業務に従事。日本の多国籍企業へのコンサルティング経験を通じて、将来のグローバル人材育成の重要性を痛感し、U-LABOとして世界トップ大学への進学・留学サポートを開始。日本で最もカリフォルニア大学編入に精通した専門家の1人として、これまでに多くの学生を合格に導いており、2022年にはUCLAが選ぶグローバルに影響を与える事業100(「UCLA Bruin Business 100」)に選出されている。公式Webサイト

《小泉涼輔》

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