おおたとしまさ氏が小説を通して伝える「第一志望に受からなくても笑える中学受験」

 ヒートアップする中学受験。その流れに警鐘を鳴らすのはノンフィクション物語『勇者たちの中学受験~わが子が本気になったとき、私の目が覚めたとき』を上梓した教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏に中学受験における親の在り方について聞いた。

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おおた氏は世間の定説「中学受験は親次第」に警鐘を鳴らす
  • おおた氏は世間の定説「中学受験は親次第」に警鐘を鳴らす
  • おおたとしまさ氏がノンフィクション物語を通して伝える「第一志望に受からなくても笑える中学受験」
  • 2022年11月にノンフィクション物語『勇者たちの中学受験~わが子が本気になったとき、私の目が覚めたとき』を上梓した教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏

 中学受験の季節が今年もやってくる。2月1日までのカウントダウンが始まり、親子の目の色が変わるころだろう。近年、ますますヒートアップする中学受験。しかし、その流れに警鐘を鳴らすのはノンフィクション物語『勇者たちの中学受験~わが子が本気になったとき、私の目が覚めたとき』を上梓した教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏だ。

 これまで多くの著書で日本の中学受験の現状を丁寧に取材してきたおおた氏はあえて「『中学受験の子供の成績は親次第』などと考えない方が良い」と言う。受験後に、心からの笑顔になれる親子に必要なものとはなにか、親が子供にできることとは。



あえて実名で綴るノンフィクション…誰かのすべり止めは誰かの第一志望

--実際の取材をもとにしたノンフィクション物語『勇者たちの中学受験』。今回、なぜ小説の形で中学受験の書籍を出すことにされたのでしょうか。

 私はこれまで、過熱しすぎる中学受験に対して一石を投じる意図でさまざまな書籍を出してきました。しかし、親の心構えや中学受験の構造を理論的に説明するだけでは伝わりきらないものがあると感じていました。そんな中、あらためて『二月の勝者』(高瀬志帆作・小学館)や『翼の翼』(朝比奈あすか著・光文社)を読んで、感情の動きとともに、作者のメッセージがすっと腑に落ちる経験をしました。これが「物語」の力かと感銘を受けました。そこで実話をもとにした物語の執筆に挑戦してみようと思いました。

--出てくる塾や学校名を実名にした理由はなんでしょうか。

 せっかくノンフィクションなら、学校名も塾名も実名で出さないと、中学受験の現実が伝わらないと思ったからです。登場人物のキャラクターの設定や、心情や光景の描写は創作しましたが、受験に関する事実関係は変えていません。あそこまで自己開示してくれた3組の親子の勇気には深く感謝しています。

 今回登場する3組のご家庭が経験したことは、どれも感情を揺さぶり、動揺するようなエピソードですが、特別な経験というわけではありません。どこにでもいるような中学受験生親子です。

 わが子のすべり止めは他の誰かの第一志望かもしれませんし、わが子の第一志望をすべり止めで受験している家庭もあるでしょう。学校を勝手に評価し、順位を付けることがいかに無意味なことなのか、気付いてほしいと思っています。

--倫理観を疑うような塾の先生の発言やシーンも描写されていて、胸が苦しくなりました。

 今回の物語に登場する2組目の家族の塾選びが、たまたま運が悪かったのではありません。どこの家庭、どの塾であっても依存的な関係になると、結果的に子供を追い詰めてしまうということが大いにあり得るのです。

 塾講師はその立場を利用し、いとも簡単に親を洗脳できてしまいます。それを自覚し、立場を利用することなく保護者との信頼関係を構築できるかどうかは、講師個人の倫理観にかかっていると言えます。無自覚にも自分の権威性を示そうとしてしまう塾講師は残念ながらいるんですよね。

コロナ禍に露呈した「父親のもろさ」

--ここ数年、中学受験がますます過熱していると言われています。コロナ禍はどのように関係しているとお考えですか。

 共働きゆえの時間の制約から、中学受験に備えることが難しいと思っていた家庭も、在宅勤務ができるようになり、受験のサポートの時間が確保できるようになったというポジティブな側面があります。このような良い面がありつつも、一方で関与しすぎてしまうというネガティブな側面も顕在化してきています。

--今まで中学受験に関与しないことが多かった父親が、在宅ワークが浸透したことで、良くも悪くも子供のようすを間近で見られるようになりました。

 在宅ワークになったことで、子供との距離が急に近くなった。未経験の距離感に、うまく順応できず、戸惑っている父親は多いかもしれませんね。

--「暴走する父親」は『二月の勝者』や『翼の翼』にも登場しました。今回の『勇者たちの中学受験』にも出てきましたね。

 そうですね。今回の物語でも「父親のもろさ」が浮き彫りになっていると思います。推測でしかありませんが、そのもろさの原因は、世の中に対する父親自身が抱いている不安感なのではないかと思います。

 日々競争の中に身を置いている人には、その立場にあるからこその不安感があると思います。先行き不透明な時代、終身雇用の終焉、学び直しの必要性等を多くのメディアが報道する中で、親自身が自分の将来に不安を抱いているのではないでしょうか。労働力としての競争を強いられている社会で、感じるプレッシャーは年々高まっているはずです。

 だからこそ、わが子にはできるだけそういう不安を抱えてほしくないという気持ちが出てくるのは必然とも言えます。わが子をこんなつらい気持ちにさせたくない、できるだけ強い武器を与えたいというような欲求が働くことで、過剰な期待をかけてしまっているという気がします。

 要するに、子供の将来への不安というよりも、自分自身の将来への不安が投影されているのでしょう。

中学受験に横たわるジェンダーバイアス

--労働力としての競争の渦中にいるからこそ、強く不安を感じるのであれば、働いている母親であっても、父親のように不安を感じているのでは。

 おっしゃるとおり、父親であっても母親であっても、その点は同じはずです。ただし、仮に同じ年収を稼ぐ父親と母親がいたとしても、やはり父親を一家の大黒柱とする風潮がいまだに根強いのが現実です。家庭内のジェンダーバイアスが強いほど父親のほうがプレッシャーを感じやすいかもしれませんね。

--解説の中では、子供の進路についての「ジェンダーバイアス」についても指摘されています。

 3つ目の家庭がいちばん平和なエピソードだと思いますけれど、そもそもの前提の違いがなかったか考えてみたところ、このエピソードの主人公だけ女の子だったことに気付きました。その他2つのエピソードにも、それぞれ主人公の妹として女の子が登場しますが、この妹2人に関しては受験を強要されそうにない。

 男の子のほうが少しでも高い偏差値の学校に入れたいという親からプレッシャーを受けやすいことはよく知られていると思います。だからこそ教育の機会を十分に与えられない女子もいて、それはもちろん問題であるわけですが、プレッシャーを与えられすぎるのもやっぱりつらいものですよね。

「中学受験は親次第」は幻想なのか

--今回の3つのエピソードを読むと、受験後の満足度は親のスタンス次第だと明らかになったような気がします。笑顔で受験を終えるために親ができることとは。

 中学受験の過程で、どの親も多かれ少なかれ自分の中の「怪物」が暴れ出します。どのタイミングで「怪物」に気付くことができるか、その「怪物」にいかに対峙するかで、受験の後味は大きく変わります。親本人が自分を縛っていた価値観に気付き、自らを解き放つことが大切です。

--「怪物」の正体は何なのでしょうか。

 心理学的に言えば、親の中で暴れる「怪物」とは、親自身の人生の中でつくられたコンプレックスや恐怖が、子供の受験に対する不安や焦りに刺激され、表出してきた感情だと見立てることが可能です。たとえば、自分が学生だったころにテスト前に遊んでしまって、望み通りの結果を得られなかったとか、そういった苦い経験が根本にあって、目の前の子供が同じことすると古傷がうずくというか。

 このようなとき、本来手当が必要なのは親自身の古傷なのですが、実際には「この傷が痛むのは、子供が頑張ってくれないからだ」と、子供側に問題があると思い込んでしまう親が多い。それゆえ、どうにかして子供を変えようと躍起になってしまう。子供の痛みよりも自分の古傷の痛みを重視してしまっている状態ともいえます。でも、理不尽に子供を痛めつけても子供が成長するわけではありません。子供が思い通り動いてくれない限り、古傷は痛みを増しますから、怪物もますます暴れる。子供をつぶしてしまう負の連鎖の構造です。

--「中学受験は親にとって荒行のようなもの」とおっしゃっていましたが、「高いハードルにわが子を挑ませる」ということではなく、「親自身が自分と向き合う」という意味の「荒行」なのですね。

 「怪物」が出てきたタイミングで「今変わらなきゃならないのは私かもしれない」と、親が自分自身に矢印を向けることができるかがポイントです。原因を子供になすりつけずに、親が自分の課題として「怪物」を制御する必要があります。親自身が早いタイミングでわが子と自分の課題の切り分けができることが、受験を笑顔で終われるかどうかのポイントだと思います。

 ここで誤解してほしくないのは、コンプレックスが刺激されて、負の感情が「怪物」のように暴れだしそうになること自体は、悪いことではないということです。誰だって、いわゆる「コンフォートゾーン(安心していられる状況)」を飛び出すとストレスや不安を感じますが、その課題に対処してまたコンフォートゾーンに戻ります。その過程で人間的成長がもたらされます。

 中学受験はまさに家族でコンフォートゾーンを飛び出すイベントですよね。だから私は中学受験を親子の大冒険にたとえます。映画の「ロード・オブ・ザ・リング」みたいな。

--今回の小説の3つのエピソードのご両親は、「怪物」への対峙の仕方が異なりますね。

 もっとも早く対処できたのが3番目のエピソードのご両親ですね。その結果が、受験に対する満足度が3つの家族のなかで最も高かったということになります。

 1組目のお父さんは、わりと一貫して自分の中の「怪物」が暴れそうになるのを制御しようとしてきました。しかし、その対応はどこか他人事で、合格に近づくためのテクニックにすぎませんでした。課題が自分にあるとはなかなか気付けなかったんです。

 2組目のお母さんは、受験が終わってからも、しばらく自分の中の「怪物」の存在にも、その原因が自分自身にあることにも気付くことができませんでした。

 自分の中の「怪物」にうまく対処できるようになると、目の前にいる子供の努力や成長に目を向け、ありのままの子供を受け入れることができるようになります。これが「私の目が覚めたとき」という副題の意味です。本の中でも「私見えるようになった」という母親のセリフがでてきますよね。目が覚めたんです。

 私は、子育てにおいてもっとも大切なことは「子供を見る」ことだとよく述べていますが、もちろんただ視野の中に入れておけば良いというわけではありません。

 精神分析学者・社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、著書『愛するということ』の中で「尊重とは、その語源(respicere=見る)からもわかるように、人間のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力である。尊重とは、他人がその人らしく成長発展していくように気づかうことである」と言っています。まさにこれこそが「見る」ことです。

 フロムはそのあとにこう続けます。「言うまでもなく、自分が自立していなければ、人を尊重することはできない」。まず親自身が自立していないと子供を「見る」ことはできません。

--その通りだと思う一方で、いざ子供が受験生となると、うっかりヒートアップして、模試の結果に一喜一憂してしまいそうです。

 私だって、いつもベストな受け答えや思考ができるわけじゃないですよ。私の小説やこの記事を読んだことで「そんな考え方、視座もあるんだ」と思ってもらえたら良いと思いま す。必要なタイミングで「視座を変えたらどうなるかな」と考えて、冷静になるためのヒントとして活用すれば良いというか。

 今までつい脊髄反射的に自分の感情だけで子供を傷つけるような言葉を言ってしまっていたとしても、これから「この言葉を発したら、子供はどう受け取るだろう」と思考できるようになるだけで、大きく変わると思いますよ。

 せっかく中学受験という大きなチャレンジを選択したのであれば、知識や点を取るためのスキルのようなものだけでなく、その後の人生の糧になるような大きな教訓を得てほしいですよね。挑戦したこと、努力したこと、感謝できたこと…。その後の人生において再び試練に立ち向かうときに必要になるであろう教訓に気付かせてあげることが、親の役割だと思います。そういう広い視野で考えると、目の前のことに囚われにくくなるはずです。

 具体的にどんなシーンでどんな教訓が得られるかについては、『二月の勝者』とのコラボ書籍である『中学受験生に伝えたい勉強よりも大切な100の言葉』(小学館)を参考にしてみてください。

その後の人生の糧となるものを中学受験で得てほしい

--受験まで100日を切りました。おおたさんが受験生に言葉をかけるとしたら、どんな言葉でしょう。

 3人目のエピソードにも登場する言葉、「元気に終わってほしい」ということに尽きますね。中学受験は長い子育ての中で1つのイベントにすぎません。いくら教育的効果があるとか、中高一貫教育に魅力があると言っても、子供が壊れるまでやる価値はありません。ですから、とにかく「元気に終わる」を目標にしても良いのではないでしょうか。「中学受験を経験できて良かった」と言えるように祈っています。


 ノンフィクション物語で構成された『勇者たちの中学受験』は、中学受験の全体像をリアルに近いかたちで把握することができる。実話に基づいたエピソードは、どれも生々しく、自分の中にある傷の存在を意識せざるを得ない。そしてそのあとに続くおおたさんの解説を読むことで、傷の手当の仕方や、自分たち親子の受験の目的を再考できるようになっていると感じた。

 3つのエピソードを読むと、いちばん満足度が高く、受験を良い経験に昇華できたのはどの家族だったのかは一目瞭然だ。ゆえに、受験のハウツー本に書かれている「~すべき」「~しないほうが良い」等といった断片的なアドバイスよりも、本質的な思考を自然と誘発されるようになっている。

 夫婦で子育てや受験に対する意見が割れたり、方向性のすり合わせができていないとき等にも、この書籍をベースに「わが家の理想の受験とは」を話し合うことができれば、子供にとって「やって良かった」と思える受験になるのではないか。本書が中学受験を控える家庭はもちろん、中学受験に少しでも興味がある家庭の必読書となってほしいと感じた。




おおたとしまさ氏プロフィール

1973年10月14日、東京都出身。教育ジャーナリスト。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。1997年、リクルート入社。雑誌編集に携わり2005年に独立後、良い学校とは何か、良い教育とは何かをテーマに教育現場のリアルを描き続けている。新聞・雑誌・Webへのコメント掲載、メディア出演、講演多数。中高の教員免許、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験もある。著書は「ルポ名門校」「ルポ塾歴社会」「ルポ教育虐待」「中学受験『必笑法』」「なぜ中学受験するのか?」「ルポ 森のようちえん」「中学受験生に伝えたい勉強よりも大切な100の言葉」等70冊以上。

《田中真穂》

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